就職試験のときの面接で、
「あなたはお母さんのようになりたいと思いますか?」
という質問をされた。
あたしが高校卒業後すぐに就職した会社は、父親の働く会社が下請けで、母も時たま同じ現場に仕事に行くこともあったから、あたしの家庭の事情やらを良く知る人も多かったので、こんな質問をされたのであろう。
あたしは幼い頃から飲んだくれで気分屋の父のことは大嫌いで、ましてその父のことを嫌がりながらも
「おまえがいるから別れられない。おまえさえいなければ離婚できたのに」
などという失言をした母のことはもっと嫌いで、それでも一人っ子ゆえ他に身寄りもなく、甘えたいのに甘えることもできない両親のもとで育ってしまったから、ずいぶんとねじけて育ってしまった。
当然、そんな質問をする面接官のことも快く思えなかったから、あたしは思い切り、
「いいえ、私は母のようにはなりたくありません」
と答えた。
受け答えのパターンからしたら、きっと悪い答え方の典型だったとは思ったが、私は自分の人生を誰かのために犠牲にしている、それも我が子のために犠牲にしているのだと、そんなことを口にする母のことが許せなかったのだ。
親子関係と言うのは自分が親になってみて思うのだが、一朝一夕に成り立つものではない。
10ヶ月間腹に身ごもっている間に沸く情はあっても、実際に産み落とし、その海のものとも山のものとも分からないようなふにゃふにゃとした赤ん坊が、段々と自己主張をし始め、いつの間にかそれが自分とは別の人格であるということが明らかになっていく過程で、どうしてもなじめない部分、理解しえない部分というものがある。
親子だから、と言っても譲れない部分、許せない部分と言うのはあるものなのだ。
それをいかに認め、譲るべく受け入れられるかが親子の愛情なのだろう。
にしても、いい加減、親と分かり合いたいと思う。
年老いていく親をいたわりたいと思う気持ちは以前より増しているのだが、彼女らがあたしの今の暮らしを心から認めていないのは親心からだとしても、自分を無条件で受け入れてもらえないことの寂しさ、つらさにさいなまれる。
まるであたしは幼い頃から中身が成長しないまま止まってしまってるように感じる。
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