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2005年01月09日(日) ■ |
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続・「負け犬の遠吠え」に一言 |
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ドラマ「負け犬の遠吠え」を見る。
テレビドラマはあまり見ない。久しぶりのドラマ。
えっドラマってこんなにもレベルが低いものだっけ? とあっけに取られる。なんだか恥ずかしくなって見てられない。 脚本書いたの誰だーと思うくらいイマイチ・・・。
今日の読売のテレビ欄、番組紹介の記事にて 「仕事もできて社会的地位もある女性が、結婚という従来の価値観によって幸せを得られない自分を、自虐的に「負け犬」と呼んで楽しんでいるのが実態ではないか。」とのこと。 一理在り。
週刊金曜日の北原みのり氏の談話 「はやりの「負け犬」を自嘲できるのは、キャリアのある女だけ」 「フェミニズム論では、「幸せになれない女」の存在を執拗に書こうとしている」
なるほど!と思う。
今日、この日記を書いてる親サイトを覗いたら負け犬という言葉を使って日記を書いている人(女性)がかなりいることに驚いた。
自分を負け犬とする悲壮感は、実はあまり切実じゃないのかも。 むしろ、負けと称することが自身を解放してるのかもね。
私達、(お金もあって、キャリアもあって?)めぐまれてるけど、 実はこう考えると不幸なのよっと周りに主張しているだけなのかもしれない。
前述の読売の記事の締め 「「負け犬」から見向きもされない三十代おたく男には、(彼女達が自らを「負け犬」と呼んで楽しんでいるように)思えてくる。明るく前向きに生きる強い女性たちを見るにつけ、その思いはますます強まる。」とのこと。
今度から、ホームページのコラムに「負け犬」論作ろうっと。
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