きらめく流星のように一瞬にすべてをかけて生きよう - 2004年03月20日(土) 時々、死について考える。 私は、どんな有名人が亡くなっても、 16年一緒に暮らしていたひいおばあちゃんが亡くなってさえも、 未だ、死をリアルに捕らえられないでいる。 永遠なんてない。 頭で理解しようとしても、無理みたいで。。 でも確実に人は死ぬ。 大好きなじいちゃんも、ばあちゃんも、 父さんも、母さんも、 慎吾くんも、東さんも、きよしも、 たぶん私より早く死んじゃうんだ。 私は遅かれ早かれ、置いていかれちゃうんだ。 悲しいよ。ありえないよ。嫌だよ。 だったら私が先に死ねばいいんだ。 どーせ私は無価値な何も出来ないニンゲンだし。 大人になる前に死んじゃうんだ。 って、本気で思っていた。 でも、死んじゃいけない。 って思っているよ、今は。 自然のなすままに身を委ねるしかないんだ。 死は確実に終わりだ。と私は思っている。 別れは始まりにつながるかもしれない。 けど、死ねば何も出来ない。 血がとまり、脳も動かなくなる。考えられない。何も出来ない。 私は灰になる。モノになる。 そして私は、忘れられる。 人っていいかげんだ。 死んでから人の価値が分かる。 分かったところでその人はいない。 いるときに言ってあげろよ。 生まれてくれて、ありがとう。 私はきっと、忘れられる。 記憶に残らなければ意味がない。 無価値だ。 なんで生まれたんだ?! 生の意味も死の意味も、結局私について何も知らないまま、私は死ぬだろう。 要は誰かしらの記憶に残るような 恥ずかしくない充実した日々を過ごすのみなんだ。 浅はかにしか考えられない私は今、こう思っている。 それでも私は、父さんや母さんたち家族や、 友達や愛した人たち、テレビで見かける人々が いつか、いなくなるなんて、信じちゃいない。 でも確実に私たち皆、“老いて”きてる。 だけど信じられないんだ。 死なないで、死なないで 思うだけの無価値なニンゲン。 -
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