、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
A氏とは、しばこあらと大学の同じクラスの友人のこと。
大学に入学した当時から今に至るまで、A氏は見た目も含め、
「人生いろいろのりこえて、達観した老人」の空気を身にまとっていた。
そのせいか、いろいろ相談を持ちかけられたらしく、
しばさんも、こあらのことを含め、いろいろ相談して(愚痴って)いた
ようだ。A氏は文句をひととおり聞き、その都度「しばちゃんの
言うこともわかるけど、こあらはいい奴だよ。」と、諭すような
口調で言い続けてくれたらしい。
(この話は結婚後にしばさんに聞いた。)
いま、こうやってしばこあらが仲良く暮らしているのも、
A氏のおかげといってもいい。
ただ、その佇まいの割にはかなりとぼけたところも多く、
「単位を数え間違えて留年した」こともあったくらい。
A氏の恋話もよく聞こえてきたが、その手法は、合コンで
一本釣りではなく、自分の手の届く範囲にいる人と、
地道に関係を積み上げていくものだった。
その割には、相手に恵まれなかったのはなぜだろう・・・。
それはさておき
A氏は研究も地道に着実につみあげる手法を取った。
A氏が修士論文をまとめるとき、自分の考えがどうしてもまと
まらないからと、提出を1年延期したことがあった。
積み上げても結果がでないなら、でるまでやり続けるのである。
むねのりくんによると「学位論文はそれくらい大切なもの」
らしいのだが、こあらにとっては、非常に驚きであった。
ここ数年の社会では、結果がすべての風潮だ。こあら自身も、
やはり目の前にある、わかりやすい結果を求めている。
会社において、いや、社会でも同じだが、賞賛されるのは、
第三者からの評価を確実にもらえる実績をスマートにあげる
ことにあるように思う。「最善の結果が出てなくても、とり
あえず形を整えて、さっさと次のステップに行く。何かあれ
ばそのときに考える」のが良いらしい。もちろん、A氏がいる
のは「プロの学問の世界」であるぶん特殊かもしれないけど、
こあらは、ある成果を得るために真正面からぶちあたることを、
毎日の流れ作業の中で、忘れていたような気がする。
先日、A氏と電話をする機会があった。マシンガンのように
しゃべる僕の話をひととおり聞いてくれた後、最後に
「やっと助手になれたんだ」と、昔からかわらぬ
穏やかな口調で教えてくれた。
こあらはそのとき、久しぶりに、心からの「おめでとう」を
言えたような気がした。