、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
今日は、青山さんとお会いしていた。その辺の詳細は、同じ事を私が書くまでもないので今日のしば(クリックしていただければ別窓で開きます)をごらんください。
お会いした感想。普通のお方ですね。ただ、話をしているときの眼は、やはりかつての新聞記者のように「何かを探す」といった感じで、ちょっと圧倒されましたけど。ただ、本当に私たち夫婦のような若造を対等に扱っていただいたことに感謝します。
約束の内容は、食事をしてから映画を見に行く。この映画を見に行くという行為は、しばとこあらでは日々の選択肢の中に入っておらず、知り合って10年近く経つ今日この頃、一緒に映画を見に行ったのは今回が2回目という、いまどき珍しい二人である。
見た映画は「ムーランルージュ」。映画を見ながら思ったことは「歌舞伎+椿姫÷2」だなぁ、この勢い、ストーリーと思っていたのだけど、見終わったあとお茶をしながら、青山さんが「男が女の子に惚れるのはわかるけど、女の子が男に惚れるのがわからない」とおっしゃったのを聞いて、はたと気がついた。僕は「お約束」の世界が好きらしい、ということに。
今回の映画にしても、「栄耀栄華を誇る女性が、社会の底辺にいる若い男と恋に落ち、その恋をお金や社会的権威で邪魔をする別の男がいる」という、歌舞伎(助六など)でも、映画(タイタニックなど)でもよくある「お約束」にのっとったストーリー展開である。逆にいうと、このお約束を前提としないと話が進まない。
こういうお約束でなくても、「水戸黄門の8:42の印籠」や「遠山の金さんの『この桜吹雪が眼にはいらねぇか』」、吉本新喜劇のお笑いなど、来るのがわかっていて、来たことにカタルシス(ここまで高尚か?)を感じるタイプのお約束も僕は大好きだ。
これを突き詰めていけば、こあらの「様式」好きも説明がつくかもしれない。僕が歌舞伎や伝統芸能の中に求める様式美は、結局のところ「あるはずのところにある」ことを確認することで得られる安心感なんだろうと。ある大きな前提があって、その前提の中で、その世界に生きる人間が「自分」を出していくのか・・・僕はこれを探し出すのがすきなんだろう。
今日はとても知的好奇心を刺激してもらった一日でした。