日記帳

2008年01月15日(火) ウマの話

うっかり乗馬なんて始めさせてしまった去年の6月。

娘が「乗りたい」「おうま乗りたい」とノリノリなものだから、ついその気になって、ちょっと遠いなとか、ちょっとお高いなとか、ちょっと強引な勧誘だなとか、そういったモロモロの「ちょっとひっかかる」を呑み込んで申し込んでしまった馬鹿母です。

が、しょせん子どもですよ。ノリノリが長続きするか。いやしない。

するとどうなるか。モロモロの置き去りにした「ひっかかる」がゾンビのように蘇り、カーサンやる気なし子さん。秋くらいから、月に一度通えるかどうかになってきた。

レッスン場に着いてしまえば、ウマのかわいさにカーサンもなにかが緩む。だが、とにかく腰が重い。予約を取るのも億劫、大荷物なのも億劫。とにかくウマに関してはキックがかからんのだ。

このままではいけないのはわかっている。そしてカーサンは娘にピアノ習わせたいとも願っている。ウマとピアノを天秤にかけ、ああ重さが拮抗して天秤がゆらーりゆらり。いかんいかん、こんなことではいかんのだ。

カーサンうじうじ考えていたら、さすがの夫も母子の怠惰なウマへの通いっぷりに気付いたのか、「どうするつもりなんだ」と正月早々妻を詰問。

詰問されてようやく蘇ったゾンビたちとまじまじと対面、いちいち答えがグレーなことに自分でもあきれ果てる。ああ、正月っから辛気臭い…。

娘がやりたがっていることを、自分の都合で取り上げてしまう罪悪感もある。おとなの都合で。カーサンの都合で。

あのね。ウマのレッスンって、おもに3つやるんですよ。馬装、乗馬、ミーティング。

娘は最後のミーティング前後に、必ずと言っていいくらいへたれてしまう。抱っこ抱っこと号泣することもある。

要するに、娘にとってレッスンとは、観光牧場とかで楽しめる「曳き馬」感覚でしかないのかな、と疑っているのですよ。娘は楽しいところだけが欲しくて、「きちんと」のお稽古の感覚に欠けているのではないかと。

疲れてしまうのか、字が書けない、書くのが遅いのがプライド傷つけるのか、低血糖起こしてしまうのか。たぶん全部が混ざってそうなってしまうんだけど。

「始めるのが早すぎたんじゃないのか」「通わせるならきちんと通わせないとだめだ」という夫のごもっともなご指摘でカーサンようよう重い腰をあげた。

幼稚園始まる直前、春休み中にレッスンに連れて行った。娘に「もう今日で最後にしよう」「遠いし泣くし、あなたには早すぎたのだ、もっと大きくなってから再開したまえ」と話すと「うんわかった」とあっさりうなづいた。あ、あれ?拍子抜け…。もっとごねると思ったのに。そんなにあっさりなの?拍子抜けというか、落胆してしまうね、カーサン…。

「泣かずに最後のミーティングまでやりとげなさい」と諭してレッスン前に多目に補食。これで低血糖はなくなるだろう。

結果、泣かずににこにことミーティングまで終え、「今日じゃなくて、もう一回来たら(やめ)にする」とちょっと思い直したような顔の娘。ふうむ。様子を見るか。
※ただの低血糖だったのか?とあとからカーサン海より深く反省…。

そして最後の一回と決めた日曜日、夫が「今日で最後にするけどいいんだね?」と改めて確認すると「やめたくない、もっと乗りたい」と泣く娘。

泣かせておいてなんだが、カーサンほっとしちゃった。やりたい、やめないという娘の意思を見せてほしかったのだ。

この日のレッスンは「今日も泣かないってこと?」「うかが習うものだから?」と語尾上げで確かめてから「一人で行ける」(←馬装の間は付き添っていた)ととことこ一人で厩舎に向かい、ミーティング終わるまで上機嫌。

夫は「やはりカツを入れないといかんのだ」と虚弱な妻(ごがっ←殴られた音)をちらっと見た。

自覚を持たせるってのは、大事なんですね。こんなやり方が褒められたもんじゃないのはわかってるけど、必要だったのねと納得している次第です。


 <<  index  >>


さば [TOP]