言葉的遊戯
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2006年11月27日(月) |
もうすっかりね・・・ |
いや、今日、なにげに考えたら、もう3年もまともに恋愛をしていない自分に気がつきました。 別にしたくないとかそういうことではないんですけどね、ココロが踊らないうちに3年が過ぎてしまったというのが 本当のところなんでしょうね〜なんて人ごとのように考えているわけであります・・・。 別にこの3年間、何もココロの琴線を揺るがすことがなかったわけではないんですよ。 そりゃね、2年半前に出逢った薬剤師の女の子も、1年前にコンサートにいた取引先の女の子も、 別に嫌いじゃないし、続けようと思って行動していたらどうなっていたかも分からないんですけどね、 結局のところ、そこまで動くだけの原動力を自分の中に見つけられなかったのは事実なんですよね。
先日、なにげにポセイドンと話し、翌日にピロシとも話をしたんだけど、 僕の恋愛におけるスタンスっていうのに、もう少し自分自身で気がつくべきところに気がつくべきかな?なんて 思ってしまったりしているんですけどね、今までの僕ならどっちかというと、「守ってあげたい」とか、そんな視線で 相手の女の子を見ていたような気がするわけ。でもね、本当はそんなのではないような気がする。 僕にはそんな守って上げるほどの懐の深さもなく、ただただ守って上げるという行為そのものに酔っているんじゃないの?ってね。
だから、今僕が思うのは、そういう「する」「される」の関係なんかではなく、もっとフェアな関係を築ける相手ではないか、と。 もっともっと、自分自身が自分自身らしさを残しておくことのできる相手を捜すべきなのではないか?と思うわけで。 きっと、今までの僕は「する」「される」の関係で優位性に立って、自分を「ばか」にすることにためらっていたのでは?と。 もっともっと、ダメな部分を晒したり、悔しくて泣いてしまったり、寂しくて震えそうになっているのを晒したり、 そんなことをしても、別に罰は当たらないんじゃないの?って思うようになったわけですよ。 だって、そういう部分も全て僕自身だし、僕自身の一部を晒すことなく、逆の一部だけを晒して「これが本当の僕」だなんて、 偉そうにいってみたりしても、それは所詮虚実の自分でしかないんじゃないの?って思うから。 そんなことを考えていたら、実は今までの僕はきっと、うまくいかないような恋愛しかできてなかったのかな?って思う。 こんなことに32歳を目前にして気がつくこと自体、他の人よりも遅れているのかも知れないけどね、 逆に言うと25歳で結婚しようとしていた自分が、そのまま結婚していたら、きっとこのトラップに気がついたときに 「ああ、オレってこれでいいのかな?」って自問自答して、結局その時点でダメになっていたかも知れないよね、なんて 思ってみたりすると、それはそれで今のままでよかったりするかも知れないね、なんて思ったりする。 所詮、考え方なんて前向きになれるかどうかで、同じ結果でさえも違う捉え方にしかならないわけで、 同じ考えるなら、もっともっと前向きに捉えるように自分自身で少しだけでも気を遣ったらいいじゃない?って思うわけ。 そうなりゃ、今まで以上に自分の人生はもっともっと楽しくなるはずだし、失敗に関してももっともっと前向きになれるはず。
自分が求めるべき理想像って、「する」「される」の関係ではなく、自分自身と同じくらいに自分の世界をもった、 そんな独立性のある人なんじゃないのかな?って思う。 そりゃ、今までに比べれば、ドライでいささか寂しいものかも知れないけど、 お互いの世界をお互いに理解し合えて、お互いの世界に生き甲斐を感じることのできる、そんな相手を捜すべきではないか、と。 今までの自分はきっと、自分では気がつかないうちにワンウェイになっていたんだと思う。 でも、そんなのじゃ、きっといつか破綻する。僕の一面だけではなく、相手の一面も含めて、それぞれの生き様を見ながら 相手に対する尊敬を高めて行かねば、きっとこれからの自分自身は外の世界ともっともっとふれあって生きていく中で、 自分の本来大事にするべき相手より、外の刺激の方にしか興味が持てなくなるような気がする。 相手のことをある意味で尊敬できる部分があり、その部分があるからこそ、一緒にいる価値があると感じることのできる。 そんな相手に出逢うことができたら、僕は今までにないくらいに充足されるのではないだろうか?と考える。 恋は思想ではできないけれど、自分自身の内面改革だけでもできていれば、本当に大事にしたい人に出会ったときに、 その人に最高の幸福を与えることもできることだろう。 一度、大事にしたいと思った人を大事にすることができなかっただけに特にそう思う。
一生を考えた相手は今までに一人いる。その人に仮に今あったとしても、僕自身の中で何かが変わることはないと思う。 彼女が僕とではなく、今ある環境で幸福であるというのなら、それは喜ばしいことだし、きっとそうなるべきものだったんだろう。 歴史は変わらないし、自分自身でどうにもできなかった過去の事象っていうものは「そうなるべくしてそうなったのだ」と 考えないと何もかもの「つじつま」は合わない。振り返っても仕方ない。でも振り返らないと何も始まらない。 過去にはたくさんの教訓があるが、それをつまみ上げて、そこから学ぶべきことがあったとしても、 僕はそれをきちんと今や将来になぞらえて捉えることがない限り、その教訓はなんも活かされていないということだ。
★昔の僕はこんな日々を送っておりました!★
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