言葉的遊戯
DiaryINDEX|past|will
あのね、自分では気がつかないんだけどね、他人にはよく分かるらしいです、僕の女の子のタイプ。 実のところ、自分では分からないんですよ。いつも好きになる人が自分のタイプの王道かしら?なんて思うんだけどね、 他人には「うん、やっぱりな・・・」っていわれるっていうことは、きっと僕のラインってのがあるのかしら?って思います。 でもね、本当に自分のタイプってどうよ?って気がします。マジで分からないんです。 唯一分かっていることは、僕はすぐに気に入るけど、恋には落ちにくいってことです。 わかりにくい表現だよね?、だからね、いいなって思う子はたくさんいるわけです。 ほんの些細な仕草とかにぐぐっときて「ええなぁ〜」って思う子はたくさんいます。去年だけでも結構な人数がいたはずです。 でもそれ止まりでしかないのよね〜。きっと昔ならそれで勝手に自分1人で盛り上がっていたんだけど思うんだけどね、 さすがに年取ってしまったかしら???、そうはいかなくなってます。 でも、周りの人には分かるみたいです。その数多くいる「ええなぁ〜」ではない、 のびぃ、この子がタイプだろうな?っていうのが手に取るように分かるらしいです。
おもしろい話ですが、僕とポセイドンとピロシってのは15年近い付き合いになりますけどね、 3人で綺麗なくらいに女性のタイプを分け合ってます。 どういう意味か?っていうとね、3人がそれぞれ120度ずつ共有してて、重なるところがないんですよ。 だから「あ、あの子いいな」って誰か1人がいっても「そうかな?」って残り二人は答える、みたいな感じなんです。 でも、そんなこといいながら今まできているわけですから、彼らは間違いなく、僕のタイプの女の子を言い当てるはずなんですよね。 森くん曰く、「おまえのストライクゾーンは狭い、その上面食いだ」っていいます。 そうかしら?、結構僕はストライクゾーン広いような気がするけどね???って感じなんですけどね、 でもまあ、今までお付き合いした子を顔だけで見る限り、合格点かも知れません??? 顔だけで判断はしていないつもりなんですけどね、結局キーポイントになっているかも知れませんね。
先日、はるいちばんで呑んでいるときに話をした常連さんの話を聞いていると、 僕はまだきちんと女性の内面を見れるだけの器がないのかな?って思うこともあります。 おいおい、29歳になろうとしているおっさんが何をいってるのか?って感じだけどね、 「ぶっちゃけ」っていう恋愛をしていないような気がする。前に付き合っていたことすんなり別れることに応じたのも、 「ぶっちゃけ」になれない自分に気がついたし、きっとこの人には僕は「ぶっちゃけ」出来ないのでは?って思ったからかも知れません。 たとえ、相手が求めてきても、出来ることと出来ないことがありますからね。 独りよがりなのかも知れませんね、きっと。そういう部分では僕はまだまだ子供だと思います。 結局内面に求めることが出来ないから、外面に対しての勝手な納得だけにとどまってるのかしら??? う〜ん、難しいですけどね、こういうの。結論は出ないことかも知れないけど、考えてみるだけの価値はあるかも知れません。 「喧嘩するほど仲がいい」ってコトバあるでしょ?、これは本当に僕にとってうらやましいコトバなんですよね。 喧嘩できるって本当にいいなって思う。まあ、喧嘩の絶えないカップルには「なんでよ?」ってコトバでしょうけどね、 僕には本当にうらやましいコトバなんです。でもね、それって今までの僕にとって見れば、自分の感情を食いつぶしてしまうことが 優しさになっていませんか?っていう感じなんですよね。お互いに自分の思うところをはき出して、それを聞いてあげるっていうのも 本当に大事なことなんですよね、マジで。でも、実際のところ、それが出来てない、きっと出来てない、今の僕には。 相手の外面的なところに主眼がおかれてるかも知れませんよっていうところはここにあるのも?って勝手に想像します。
「美人は3日で・・・、そうでない人は3日で・・・」ってコトバがありますけどね、まあずいぶんなコトバですけどね、 好きになる人だろうが、そうでない人であろうが、「こいつ、ホンマにええやつやねん!」って人は、他人が「ブサイクやな」っていおうが、 自分の目から「でもね、こいつにはこいういう内面的ないいところがあるんだよ」っていうところが見いだされてさえいれば、 「オレ、結構可愛いと思うで」っていうコトバが出てきたりすると思うんだよね。 外面は、内面を知ることでそこからわき出るオーラのようなもので、どれだけにでも書き換えられるっていう感じでしょうか? 何となくそう思ったりします。
まあね、面食いであることが、内面を見れてないっていうことに直結するわけではもちろんないけれど、 この正月休み、何もすることないからいろいろと考えたのさ。ひとつの可能性として、そういう部分もあるというのならば、 ぼくはもっと人のことをとことんじっくりと見れるだけの懐の深さを持つことと、もっともっと感受性を高めなければ! とね。 今年はそれに向けての取り組みをする一年にすれば、もの凄くいい一年になるのではないかな?と。
で、顔でいうところの、僕のタイプって結局のところ、どんな感じなんでしょうかね???(懲りないですから・・・)
★昔の僕はこんな日々を送っておりました!★
2003年01月05日(日) 続!・新年会
|