言葉的遊戯
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2003年06月16日(月) コトバの重み・2

今の彼女と付き合うまで、僕はどちらかといえば、自分の彼女にたいして、いいたいことをちゃんと言えない奴だった。
というか、もっといい表現でいうと、「相手が悲しむ顔を見たくないから、そういう部分に触れることはいっさい話さない」、
そんなスタイルをとっていたのです。まあ、相手が傷つくのを見るのがいやだったのもあるし、
自分を必死に守ろうとしているってのもあったし・・・。

でも今の彼女と付き合うようになってからは、ココロに思ったことはすべてコトバにしている。
幸い、いまだ彼女にたいして、苦言を呈するときは来ていないんだけど、そのときはそのときでちゃんといおうと思っている。
そんな今ですから、コトバにして伝えるコトバは、ほぼメロメロなコトバなのですね。
コトバで伝えるのはいいことですよ、本当に。
彼女のリアクションが目の前で見れるわけだし。なんでこんなこと、今まで分かってなかったんだろう?って思うくらいだけど、
相手を思いやることと、自分の思っていることを伝えるということの違いが分かっていなかったんだろうな、と思う。
自分の思っていることを伝える、それがよいことだろうが、悪いことであろうが、相手を思いやっての上で発言することならば、
たとえそれが厳しいコトバでもお互いにとってはいい結果になるんじゃないのかな?なんて思うし。
逆にそれが出来なかったら、僕自身の中でコトバとして発することの出来ない、行き場のない思いだけが「ふわふわ」しているわけで。
良好的な関係を続けていくには、互いに相手のことを思いやるという部分と、自分にとって無理のない状況を維持するってのが必要なのかな?
コトバを発するという意味合いでも同じ。もやもやとしてココロの奥底にたまっていても、相手に伝わらなかったら、
それはただのフラストレーションにしかならなくて、絶対に自分にはよいわけがない。

いま、コトバにしてドンドン伝えていく中で、いいなって思うのは、
コトバを発して、それを聞く彼女がものすごく嬉しそうな顔をしているのを見れるのも幸せだし、
コトバを発している自分自身もものすごく幸せな気分になれるっていうこと。
まあ、きっと、そうなんだろうけど、デート中の僕と彼女はかなり「トロけて」いるはずなのですね、はい・・・。






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