大学教員の日記

2001年02月14日(水)  筑波大学附属小のため東京へ

 6校時まで授業をして東京へ。インターネットで予約した上野のホテルについた
のは夜11時すぎであった。新幹線で発表のリハーサルをする予定だったが、車で3時間以上の移動になり、熟睡してしまった。

 1年前、家庭科とは縁もゆかりもなかった。
 いや、高学年の担任だった時には当然指導をしていたが、特段工夫する教科ではなかった。それどころか、ミシンが苦手でやたら指導に時間がかかる・・・そんな苦手な教科だった。
 私の勤務する小学校に「県の家庭科教育大会の授業者をお一人出してください」という依頼があった。なぜ本校か。国語の公開での好印象がその理由らしい。結果的に、授業者となった。
 ところが家庭科の指導案を書いた経験はない。それどころか研究授業だって見たこともなかった。(多くの教師はそうなのではないか。)

 ちょうど2月の筑波大学附属小学校の公開に参加することになっていた。自分としては一つの教科に絞らずにあちこち見ようと考えていた。だが、家庭科分科会に参加することにした。その時に授業をされたM先生。M先生との出会いが今回の発表のきっかけであった。

 家庭科を本格的に研究するにあたって、いろいろな文献を調べた。しかしながら、なかなか単著を出されている方はおられない。
 そんな中でもM先生はいろいろな雑誌に論文を書かれていた。そのアイデアは読みごたえのあるものばかりだった。当然私の家庭科教育でのキーマンとなった。
 自分なりに筑波での授業等の感想を送ったり、研究授業でのレポートを送ったりした。
 お忙しい身でありながら、M先生からは、いつも返信をいただいた。
 そして、運命の電話。「初等教育研修会で発表してみませんか」。
 その時はまだ県家庭科教育研究大会前であった。「県の大会で失敗でもしたら・・・」という不安があったものの、もともと新しいもの好きの私は、すぐに「力不足ですが、勉強させてください。」と快諾の答えを発していた。

 家庭科のレポートは研究論文ではない。
 むしろ、ある程度の新しい主張が必要と考えた。しかし悲しいかな、「長年の研究」といった蓄積が自分にはない。むろん、県の大会でしたことは書くことができるが。
 ここで発想を変えた。しょせん、家庭科をずっと専門にやってきたわけではない。家庭科に今まで自分が関わってきたものの負荷価値をつけることはできないかと。家庭科に異質の発想を取り込む作戦である。
 筑波大学附属小の紀要の締切は12月19日。通信表と並行しながらどうにか次の4つの提案ができた。

 1 「発見」「広げよう」をキーワードに
 2 「総合」で家庭科を強くする
 3 「家庭・地域・日本のよさ」を伝える
 4 家庭科情報リテラシーを高める

 2から4は自分では得意とする領域である。学習指導要領にも関わる文言が出ている。実践もしているし、これからでもできる・・・・。そんな感じでとりあえず原稿を送った。
 すぐにM先生から「(参加者にとって)刺激になると思います」という有難いコメントをいただいた。
 実質的なレポート作成は2月上旬から1週間。A4判20ページとなった。いざ東京である。


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