Opportunity knocks
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AM4:40。目覚ましの音でめがさめた。 外はまだまだ暗い。布団にもぐっていたいという欲求を、やっとのことで抑えつけて起きる。講義の資料、テキスト、受講許可書、学生証、新幹線の切符、財布、ウォークマンなど、必要なものがきちんと入っているかチェック。必要最低限の身支度をした後でかける。
欠けはじめの月が漆黒の空に光をなげかけている中、近くの駅までてくてく歩く。月の光をみているといつも静かな気持ちになる。太陽の光をうけることではじめてその存在を示す月。月がはなつ光は太陽のものだ。月自体は光る事もできなければ、なにかを生み出すこともない。月をみてしんとした気持ちになるのはそのせいなのかもしれないな、そんなことを考えながら駅まで歩いた。
始発の電車に乗って新幹線が発着するN駅まで。 京都行きの新幹線に乗車する。もうあたりはすっかり明るくなっている。空の青さが刻一刻と変っていくのをぼんやり眺める。 あっというまに京都。 京都の市バスの路線はもうすっかり頭に入っているので、いちばん時間のかからなさそうな路線を選んで乗車する。バスの窓から京都の街を眺める。夏にきたときに2日続けて食べにいった蕎麦屋が目に入る。なんだか懐かしく思う。たかだか数ヶ月しかたっていないのにな、と思う。
8:20大学に到着。売店でお握りひとつとドーナツと熱いお茶を買ったあと講義の行われる教室へ向かう。午前の講義は共通科目の1つで、世界の様々な教育の実践について学ぶというもの。 講師は京都大学の比較教育科で教鞭をとっているS先生。 「教育における国境の意味を考える」というところから講義がはじまる。 自分は日本人であり日本人による教育を今までうけてきたわけだけど、世界ではいろんな人種、民族が国境を越えて一緒に教育を受けている。つまりわたしたちは今まで受けてきた教育を当たり前のものと感じているけれど、世界的にみればそれは例外的な部類にはいることなのだ。日本の教育は自己完結性が高いため、世界の中からみて互換性、比較可能性が低いということ、外部から刺激を受けることが少ないということなど、いろいろ勉強になった。午前だけで10ページくらいノートをとる。普段使われていない頭の部分がリズミカルに動き始めている感じ。悪くない。
お昼になったので学食を食べに行く。一緒にご飯をたべようと約束した友達から講義が大幅に時間変更されたためお昼を一緒にできそうもない、とメールが入る。来月の講義のときにまた連絡する、と返事を送る。しかたないのでひとりでさっさとお昼をすませ、午後からの講義がある教室へ向かう。残りのお昼休憩の時間、クリスマスカードを書いたり、年賀状を書いたりして過ごす。 午後からの講義は、情報と社会の関わり、マスメディアについての講義。 「では今から講義をはじめます」の声で顔をあげると、そこにはちょっと先生の雰囲気とはかけはなれたタイプの人がいた。坊主頭で不精髭、黒ぶちのセルフレームのメガネに虹色のタイ、顔には満面の笑みを浮かべている。午前の講義の先生がいかにもプロフェッサーという感じの人だったので、すごくギャップを感じる。いろんな先生がいて面白いな、と思う。 午後の講義もかなり面白かった。先生運がいいというか、今まで退屈だと思った講義があまりというかまったくない。よく黒板に書く先生だったので、午後の講義も10ページ近くノートをとる。右の手と指が異常に痛い。普段キーボードに頼りすぎてるから、手と指がやわになっているのかもしれない(ちなみに今はレポートもPCに打ちこんでプリントアウトしたものを提出しているので、手でものを書くということがとみに少なくなっている。) 5:40。午後の講義が終わる。 先に帰るね、と、講義が大幅にずれこんでいる友達にメールを送り、バスに乗って京都駅に向かう。京都駅について新幹線乗り場の方へ歩いていくと、巨大なクリスマスツリーが目に入った。そのツリーのそばにぴったり寄り添いながらツリーを眺めている恋人たちが数十組。駅のホームにも、今から別方向へ帰ろうとしている恋人達が結構いて、名残惜しそうにお互いの顔をみつめあっている。何となくほほえましくて、いいなと思った。恋をするのって、辛くて悲しいときもあるけど、やっぱり素敵なことなんじゃないかなと思う。
新幹線、ローカル線とのりついでようやく帰宅。手を洗って服を着替えたあと、連れ合いが作った夕食の残りをぱくつく。なんだかすごくおいしい。連れ合いにそういうと連れ合いはふふん、と鼻をならしながら得意そうに笑った。
少し講義の内容を復習しておこうかなと思ったのだけど、後片付けしてお風呂に入ったらもう起きていられないくらい眠たくなってしまったので、そのまま布団に直行した。 冬のスクーリングの1日目はこんな感じで終わった。
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