Opportunity knocks
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このところ時間の合間に、トルーマン・カポーティの「誕生日の子どもたち」を読んでいる。カポーティーの小説を読むと、大きな湖に投げこまれた石が大きく波紋を広げていくように、心が揺れるような気がする。 作者が自分の心象風景を言葉に重ねて描写していく、わたしはそういった文章にどうしようもなく惹かれてしまうらしい。その人の後ろには何があるのだろう、その人は何を見つめてこの文章を書いたのだろうか、そんなようなことを考えながら文章を読むのがたまらなく好きなのだと思う。 中でも「感謝祭の客」という短編は、ひときわ頭に残った。
テーブルのまわりに、すさまじい速度で成長する刺だらけのつるを思わせる敵意が芽生え、見る見るうち繁茂した。そしてそのつるにからめ取られているのは告発された相手ではなく、告発した側だった。胃のあたりがぐいぐいしめつけられた。
誰かを傷つけ貶めようとすることで、自らを傷つけ貶めてしまう、ということを書いたのだと思うのだけど、ほんとうに素晴らしい文章だなあと思う。
それにしても、読みながらおなかがすいて仕方なかった。(感動しながらおなかがすくというのはかなりへんな組み合わせとは思うんだけど) この本はとにかく食べ物の描写が多いのである。それも想像力をフルに働かさざるをえない描写がそこらかしこにある。 もともとわたしは、童話なんかにでてくる、「小熊のぷうすけは、ふくらしこと、よいかおりのするバターとたまごとみるくを用意して、暖炉に火をいれました」なんていう文章に弱いのだ。
つやつやと魅惑的に光るまだ切りわけられていない七面鳥や、オクラやコーンや、オニオン・フリッターや熱々のミンチ・パイの皿からたちのぼる香ばしい匂いに心を奪われ・・・、だとか冷たいバナナ・プディング、レーズン入りのスイートポテト、グレーヴィーソースをかけたとうもろこしのグリッツ、チョコレートをかぶせたチェリーだとか・・・そんな文章を読んでいたらおなかがすくのも無理ないと思うのだけど・・・。
ということで表紙のカバーを用心深くはずし、なるだけ本を汚さないように気をつけつつ、プレーンクラッカーを齧りながら読んだ。悪いくせだとは思うんだけど、・・うーん、でも、やめられないんだな、やっぱり。
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