TOI,TOI,TOI!


2004年03月04日(木) 卒試の結果−入試ドラマ2004


2月20日が二次試験だった。

二次は一次と違ってコンサート形式ではなく、
いわゆる試験らしい試験であった。

ちなみにこの卒業試験というのは(うちの学校の場合)、

・バロック、古典、ロマン派、現代曲のそれぞれの時代からの作品を、選ぶ
・一次二次合わせて6曲以上になるようにする
・一次でまず80分程度弾き、
・二次では、残りの曲+オケスタで、45分程度。
・6曲の中にひとつの協奏曲と、ひとつの無伴奏作品を含むこと。
・二次のオケスタは8曲(6曲用意、2曲初見)。

等のルールがある。
というわけで私が二次に弾いたのは

ブラームスの協奏曲
無伴奏の現代曲
オケスタ

でした。
終ってしばらくして、ホールに呼ばれ、
結果を直接聞かされた。
「一次二次総合で、1.0。
コンツェルトイクサ−メンの入試への許可を出しますので、是非受けてください。」

1.0というのは、満点。最高点である。
その下は1.1、1.2、1.3と続き、3.0まで合格。それ以外は不合格。
この結果には本当にびっくりした。

この”許可”というものは、1.2か3までを取った人に対して出されるもの。それ以外の点を取ると、どんなに受けたくても受けることができない。
外部から受ける場合は、予備試験がある。

コンツェルトエクサ−メンというのは、全国共通の名称で言うと
Solistenklasse
といって、いわゆる大学院のように大学の上にくっついている。
2年間で修了で、修了するときに受ける試験が
Konzertexamen。
これは「演奏家の為の国家試験」と訳すことができる。

この入試は(同一校では)一生に一回しか受けられない。

それから、このコースには在籍者数というものが決まっていて(30という噂)、
入試で取る人数は、その数から現在籍者を引いた人数のみ。と言われている。

ドイツの大学はほとんどが国立で、学生は授業料を払う必要がない。
でも、このコースに対しては国からのお金が出ないため、学校が学校のお金で面倒をみなくてはならない。そのために上限人数が決まっている。

「上位何人を取ります」方式の試験なので、雰囲気はまるでコンクールのようだ。
そして、バイオリンの先生達から最高の点をつけてもらって、最大限に応援してもらって「さあ!いってらっしゃい!」と入試に送り出されるこの気持ちは、ありがたいのとプレッシャーを感じるのと両方。オリンピックの選手のよう。

そう。学部の卒業試験(=ディプロム)は、各楽器の教授達によって審査されるが、この入試には、それぞれの楽器の先生達のえらい人達が審査員として集められるのである。
受けるほうも、楽器の壁なしで、皆同じ日に同じ会場で弾く。

近年、学校が財政難で、この入試は更に厳しくなったような印象がある。実際かなり優秀な人が前回前々回とけっこう落ちたのをみていたので、
いくら卒業試験で1.0取ったと言っても、ほかの楽器の先生に同じように評価してもらえるかどうか、まるで自信はなかった。

話はずれるが、私の3年前の入試がなんだったのか、今やっと分かった。
理由は、学校の財政難。学校は増えすぎた学生を減らさなければいけないらしく、その年はまさにそういう話が出た直後だった。
ひどい話だと思う。でも結果的にはほかの人と同じだけ勉強できたので、これからの人に比べたらラッキーだったとも思う。
これからの人は、大卒ならコンツェルトエクサーメンのみ受けることが出来、
学部に入りたければ、日本の学校を中退してこっちで1年生からもう一度やることになる。

一生に一回の法則からいくと、私は一度受けて落ちていることになっているが、それは私が受けたくて受けたんではないんだから、ということで、入試の2日前フォーヒャルトとブッフベルガ−が
「心配せずに入試では全て忘れて弾きなさい。大丈夫。」
と言ってくれた。

入試は二次の6日後。試験で弾くのは、たったの20分だけなのだが、バイオリンの先生達から「ヘンデルとシューベルトを弾きなさい」と勧められたので、そうした。

チェンバロのザビーネは都合が悪く、代わりに学校一上手い人と話をつけてくれた。彼女は、チェンバロのこの学校の先生。
ただし、合わせは当日一度通しただけ。ピアノ伴奏者は妊婦のくせに風邪引いて、これも合わせは、当日一度通しただけ。

ディプロムで”許可”をもらったのは、5人。
私は一番手だった。

聞いていたマライケが
「伸子の良い部分が全部でた。今の伸子の最大限が出たんだから、どう審査員が結果を出すか、ただ待ってればいい。」

と言ってくれた。

合否判定会議は、予定より1時間ほど長く、皆、寿命を縮ませながら待っていた。

先生達が、ついに部屋から出てきた。
クラリネットのレフラー先生は、私に向かって笑顔を向けてくれた。
でも何も言ってくれなかった。「フォーヒャルトはすぐに来るよ」とだけ言った。
どうやらフォーヒャルトから直接聞け、ということらしい。
日本人のピアノの先生が通ったとき、「オメデト」とこっそり言ってくれた。
どうやら受かったらしいぞ!

そのあとすぐにブッフベルガ−とフォーヒャルトが一緒にやってきて、まずブッフベルガ−が
「おめでとう!素晴らしかったよ」
と言ってくれて、堅い握手をした。
フォーヒャルトは、「キミは僕の下に残る」と言って、
抱きしめてくれた。


  
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