TOI,TOI,TOI!


2002年10月21日(月) あなた、いい手ね。

気がついたら、ずいぶん痩せてた。
ダイエットしたわけじゃなく、徐々に自然に痩せてったみたいで、
久しぶりに会う人に痩せたねと言われる。
痩せたい痩せたいと思ってた学生時代は全然痩せなかったのにね。

なんでしょうね。日本で、いかに規律正しくない生活をしてきたかってことかな、と。
別に今もそんなに素晴らしくはないんですけど、実際今のほうが健康。
タバコも、やめて1年以上経ったし。

しかし、これも人から言われるんだけど、
私って骨格がしっかりしてて骨が太くて筋肉もあって、
うらやましいらしい。
うらやましいって言ってくれるのはもちろん楽器やる人ね。
しっかりしてるなんて言われても、一応女子としては微妙なんですが。

でも痩せて分かったのは、やっぱり私は骨太なんだなってこと。
余分な肉が減ってみたら、よーく分かった。納得した。

手も足も立派なもんで。
厚み、幅、共に充分。
靴選びも大変。弱い生地の靴だとあっという間につぶれる。
甲が高くて、幅が広くて、指が立派・・・これでかわいい靴はなかなかありませーん。
要するに、手もそんな感じ。

初めてバイオリンを触った時の話。
私は5歳のときから週2回音楽教室に通っていた。
当時は親の手ほどきでピアノを弾いていた。
その日は、半円状に並べられたたくさんのちっこい椅子に、なんだかわかんないけど全員座らされた。
どこから借りてきたのかたくさんのちっこいバイオリンが用意されていて、私建6歳児、一人に一つわたる数があった。女の先生がひとりいて、その先生が端から順番にバイオリンを持たせてくれる。
断片的に、なんとなく記憶がある。
私の番になったとき、先生は私の手を見て

「あら!あなたいい手ね!!!」

と、誉めてくれた。なんだか知らないけど誉められて嬉しかったんだと思う。だからその先生はすごい優しくていい人だという印象を持ったんだと思う。
子供だから超単純だ。

私は、そのときの先生についてバイオリンを習うことになった。
13歳までの7年間。


その先生は、数年前に亡くなった。
輸血が原因の、肝炎。まだ61歳だった。


今考えても本当に私のことを可愛がって下さったと思う。
よく「スター性よ!伸子ちゃん。スター性が大事よ」
とおっしゃっていた。
当時はぽかんとしていたと思うが、今は先生がなにを言いたかったか分かる。

13歳で先生のところを出たのは、当の先生から直接そう勧められたからだ。

「あなたは、もっといい先生のところに行きなさい。
普通はこんなこと先生っていうのは言わないものなのよ。
先生を変わるときっていうのは普通、喧嘩したり泣いたりっていうことになるものなのよ。」

そうおっしゃっていた。よく覚えている。

そのあと数年後、病気が悪くなりはじめた頃に、ほとんどの生徒さんを手放したという話を聞き、その時にもそのことを思い出したのだった。
自分のことより、子供達の人生を一番に考えてくれているからそういうことができるのだ。今考えても胸が痛い。


『マイコン』ってなに?(毎日新聞主催のコンクールなので)という状態だった当時12歳の私は、予選からふわふわの黄色いドレスで登場した。周りはしっとりしたワンピース姿ばかり。
本選の演奏中は頭が真っ白になり、気づいたら弾き終わってたのだが、なんだか奇跡のような演奏だったらしい。
休憩になり、同じ門下の同い年だったM子が客席にいる先生のところにたずねていくのを見て、私もいった。
後日(当日だったかも?)もう一度お宅に改めて伺った。
玄関でいきなり先生に抱きしめられた。
私はただただ驚いた。だって日本人同士でこういうことはほとんどないから。
生まれて初めてだったと思う。

「本当はあの時こうしたかった。M子ちゃんもいるから、とあのときは思ったけど、でもあれからずっと、どうしてあのとき感情を押さえてしまったのかと後悔していたの。」

そのあとも、受賞者演奏会のプログラムに自分の名前が載ってるのを見て(○○氏に師事、という欄)本当に嬉しかったわとか、そういうことを言ってくれる先生だった。
先生としての面以外に、一人間としての部分をたくさん見せてくれて、人間くさい人だった。

ご褒美として、レコードと楽譜のコンチェルトシリーズのセットをプレゼントしてくれた。そのうちの何冊かはドイツにも持ってきている。


  
 目次へ