TOI,TOI,TOI!


2002年08月28日(水) 出会い

「音楽をやっていて、素晴らしいことがあるのよ。
それは、人と出会うこと。
音楽によって人と人が繋がっていくのって、本当に素晴らしいことよ。」

高校生のときまでついていた私の先生が、当時の私に言ってくれた言葉。

この言葉の意味は、深い。


コンサート本番は24日。
その前10日ほどの間、私達はソ-リャックという村に滞在した。
田舎の小さな、本当に素敵な村だった。
カルテットのうち女子3名はパスカルさん宅。
男子1名はジャンさん宅にお世話になることに。

パスカルさんの家は、なんとお城(を改築したもの)!
そのお城の広い庭で、ありとあらゆる種類の野菜を育てていた。
しっかり味のするズッキーニ、アスパラガス、ちっちゃくてすごく甘いプラム。
新鮮でおいしいこれらの野菜や果物を私達にもどっさり分けてくれた。

私達4人は、朝、昼は自炊し、夜は村の人が順番に招いてくれたので
私達にとっては毎晩パーティだった。
どの家でも、ほぼ自給自足。

ジャンさんの家とお城の間には川が流れている。
ある日、村の人がたくさん集まって川でピクニックをした。
川で泳いだり、カヤック(一人乗りのカヌー)に乗ったりした。
村の子供達はカヤック大会をしたり、川で綱引きをしたり、運動会をしていた。
水着を着てた私とNは綱引きに呼ばれた。子供も大人も関係なし。呼んだだけそのチームの人数が増えていくというめちゃくちゃさがまた楽しい。
川のなかに腰まで浸かって足踏ん張れないし無理がある。「無理あるよね」と言ってNはず〜っとウケていた。

ある日は、ギさんという人の家に招かれた。
隣りの家まで1キロあるという、ものすごいところにギさん家族の家はあった。
11世紀からあるという家だった。
だいたいどの家にも犬を飼っていて、この家にもかわいい犬がいた。
こいつは、
「ぱくっ」
と飛んでいるハエを食べていて、笑えた。

ジャンさんちのバルーという犬はめちゃくちゃかわいかった。
ついでにいうと18歳の息子ピエールもとってもかわいかった。


イギリス人のアンドリューさんの家にも招かれた。
アンドリューさんはお酒が大好き。食前酒のマスカットのお酒がとってもおいしかったので5杯ぐらいいただいた。製氷マシーンがあったのがすごかった。
こんな田舎の真ん中で、自動製氷機に出会えるとは驚いた。
アンドリューさんちは部屋のインテリアがまた素敵だった。
バスルームは緑、寝室は青、客室はピンク、と、色が統一されていて、
すっごく素敵。
この夫婦は、引退してこの村に移り住んできたという。
現役時代はさぞかしバリバリに働いてたのだろうと思う。お金があるからこんなに優雅に暮らせるのだ。
バリバリ働いてバリバリ稼いだあと、こうして老後に好きなことをして生きるのって本当に素敵だな。
彼らはとても幸せそうに見えた。


ジャンさんは男手ひとつで男の子二人を育てたんだそうだ。
男3人家族、心があったかくなる素敵な家族だった。



P君は、ジャンさんに10日間息子のように扱ってもらったそうだ。ジャンさんちでのパーティの日、ジャンさんちの電話が鳴ったのに気づいた彼は、隣りの部屋にいるジャンさんを、
「電話ぁ!」
と日本語で呼んでいた。素(す)だった。
「息子みたいに扱ってくれるから、こっちも自分のおやじみたいになってきちゃったよ」

ジャンさんは始めの頃、私達女3人に対してどう接したらいいか分からないみたいな感じだった。英語が苦手だったからというのもあったと思うけど、私も英語が苦手なのもあって、ちょっと人見知りの性質が出てしまった。

22日の夜、パスカルさん主催でお城でコンサートをした。
パスカルさん夫婦がとっても喜んでくれて、ほっとした。
終わった後、ピエールとしゃべってたら、ジャンさんがもう何も言わなくても喜んでくれたのが一目でわかるって顔をして、私のところにやってきた。
ジャンさんはフランス語で私にすごい誉め言葉をたくさん言ってくれた。感動したよ!と言ってくれた。ピエールがそれを英語に訳してくれた。
ピエールは、「ノブコはシャイなのに、バイオリンを弾く時は、全身ノリノリで弾いていた!びっくり」
と言っていた。
「彼女はシャイではない。」とピエールに告げるN。

24日のコンサートにもジャンさんは来てくれた。
会場は満員。私達のコンサートはそのホールのこけら落としだった。
会場はまだ未完成で、空調設備が整ってなかった。
その日はあいにくの雨。私達は全身汗だくになって弾いた。
そして、会場は全く響かなかった。残響ゼロ。

力が出し切れず悔しい気持があるのは確かだ。
お客さんからお金を取る以上、プロとして聴かせなければならない。
プロというものは本当に厳しいもんだというのがよく分かった。

それでもお客さんは喜んでくれた。ジャンさんは立ち上がって大きく手を振ってくれた。涙を流してくれたらしい。

悔いはあるものの、それは技術的なことについてであり、
お客さんが喜んでくれ、私達も楽しんだのだから、それだけを考えれば、本当に最高の本番だった。
お客さんのひとりひとりが、ここに私達の音楽に出会うために集ってくれたのだ。
ありがたいことだ。
だって、聴いてくれる人がいなかったら、音楽は在りえない。
当たり前のことみたいだけど、すごくそう思った。
お客さんあっての演奏者だ。

プロというもんは厳しい。
厳しい世界に足を突っ込んだと思って、これからも勇気を持って精進していこう。
厳しかったけど、そのおかげで、この演奏会ひとつのためにたくさんの素晴らしい出会いができたのが、本当に尊いことだと思う。
今日はここに村人のことを中心に書いたけれど、私達のコンサートが成功するために走り回ってくれた人がまだまだたくさんいる。

日本人のMさんとその家族がフィジャックの時からいろいろと私達のお世話をしてくれ、応援してくれているのには、どれだけ感謝しても足りない。
そもそもMさんの人脈(ジャンさん)から、この私達の出演が決まったのだ。

グラマ音楽祭はかなり組織がしっかりしていて、何もかも完璧だった。
実行委員長自ら、コンサート当日の昼にパーティをしてくれたり。
世の中にはいい人がたくさんいたんだなと思った。

実行委員長ベシエさん宅の生後4ヶ月の子犬は、本当にめちゃくちゃかわいかったよ〜。追いかけっこをして遊んだよ。


  
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