〜前編の続き〜
その表現たるや、おもに内臓巻き込み事故系の話の連続。
教育上彼が選んだ、恐怖心から気を引き締めさせる簡易メンタルスパルタの注入は、わたしの足を小さく震えさせ鳥肌を誘うのであった。
初日からその種類の話を聞かされた人間のすることは、大体の場合掃除か見学に制限される。 失敗したら、即欠損事故級の作業を教えてもらう毎日。
当時は、
午前中 機械加工(掃除と見学) 午後 彫刻作品制作 夜間 アクセサリー制作 深夜 論文執筆
という過換気症候群スケジュールだったので、うっかり機械にだけ没頭出来るはずもなく、1日のうちに唯一主役になれない「掃除と見学の時間帯」がもどかしいばかり。
和田は、あまりの暇さに
のであった。
具体的には、技術を教えてもらっている恩返しとして、世の中の文句、近所のダメな人の話、新聞の情けない事件の引用等、師匠の気に入りそうな時事ネタを、あえて真剣な作業中にブツけてみたのである。
この人は職人だ、職人の大好物は「人の文句」に決まっている、と決め込んだわたしの予想は的中。
この思い切った改革のおかげで、その日以降彼の口からは、大学内の問題やら家庭の内部事情がそれはそれは蜜のように流れ出し、あまりにもリアルな内容のため、かつて暇だった見学の時間は笑いの寸劇へと昇華していった。
これがきっかけとして、彼とわたしはその後もいろいろなものを創り、同じ話題を共有した。
しかし、職人気質というものはじつに特殊で、はっきりしている。 分かりやすくいえば、頑固マイペースなんだ。
実際によく耳にしたのは、「帰りたい」って言葉。
モノ作りの作業場には、年に一回「鞴祭」っていう、機械を奉って来年の無事故を願う儀式がある。 その神聖な儀式に招待した時も、「私は毎日どうすれば早く帰宅できるか考えているくらいなんだ、そういった人が集まる会に呼んでもらっては困る」っていうような人だった。
あれから、長い間時間が経って、昨年末に修業先の鉄工所のおばさんが「毎日遊びにきんさい」って言ってたとき、どこかで昔聞いたセリフだとは思っていた。 職人の決まり言葉だったんだねえ。
訃報が届く前に思い出すべきだったよ。 いまは、細かい記憶が泡のように出ては消えしています。
理由を知らない学生には不評だったけど、奥さんの看病のため毎日16時50分には帰路についていたね。
東京に出張したら必ず大丸で買って来いって言われた、好物は、舟和の芋ようかん。
わたしの作品をつくるため、50mmの私物ロングドリルを持ってバイクでフラフラ出勤。 作業の次の日、「ドリル、帰りに峠で落としたよ」って大笑い。 後で調べたら、1本5万円。
息を引き取る最後まで、あんなに嫌がっていた職場に「はやく復帰したい」ってもらしたそうだねえ。 いいじゃないか、やっと帰れたんだし。
「帰りたい」が口癖だったろ。 もう来んでいいよ。
ありがとう。 来世で会おう。
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