和田拓治郎の「夜景レストラン」

2009年03月17日(火) 口癖(前編)




学生時代に大変世話になった旋盤職人が、本日をもってようやく大帰宅された。

東洋工業で何十年も旋盤工をし、戦後の乱世をひたむきに生きた昭和の男。

先輩が仕上げた重い製品を大人用の自転車に乗せ、ハンドルを左右に振られながら瞬きすることなく取引先へ配達する少年時代。

覚えが悪く、殴られては盗み蹴られては暗唱して蓄積した勘。
現在では絶滅したとされる教育方針。

まさにそれをを叩き込まれ、彼は当然卓越した職人へと完成していった。

そんな彼と会ったのは、わたしが博士課程の時代でアルミ作品を制作したくなった時期である。

大学内の金属機械室。
そこは、まさにバブル絶頂期に構想を練られたのが丸わかりの設備。

青白い大学生達は、一生見ることでないであろう億円単位の大型金属加工機械類。

彼は、その使われない機械を毎日整備していた。

その暇な日々に、






↑押すと予想通りの言葉に変化

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が御登場。

先に書いた、彼の輝かしい経歴を考えれば当然の言葉であるが、わたしの「アルミ削りたいから旋盤やらしてくださいよ」って感じのナメた態度に、「あんたには出来んと思いますよ」の一括払い。


今考えたら心底恥ずかしいが、猛烈に腹が立ち。
その日は、黙って帰って「初めての製図」って古本を買って、描いたことない図面を描き、材料も勝手に注文して、次の日懲りずに行った。

すると彼は、なぜ出来ないか、なぜ任せられないかというのを、過去に見てきた工場内での事故を例として、高速回転する機械を前にとてもリアルに淡々と表現されたのであった。

わたしの足は、縮こまった。

つづく


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