ひとりカーニバル
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花だんに生えているもみじの木が紅葉している。しかし、なぜ花だん。
思い出されるのは小学校のころ、墓参りに行ったときのことだ。墓の側に立っている大きなもみじの木の下に、小さなもみじの苗が生えていた。もみじの木の赤ちゃんだった。朝顔の芽が双葉になったころぐらいの大きさだったと思う。
木の下に生えていたとはいえ、苗の時点でもみじであると判断できた。何か特徴があったのだろう。やたら沢山生えていたが、大半は踏まれたり風雨にさらされたりで、生き残り、立派な木にまで成長しするのは難しいだろう。
かわいい。これを持って帰りたい。2,3むしりとり、わたしはもみじの木の赤ちゃんをいそいそと持って帰った。
とりあえず鉢に植えた。「これは観察日記をつけねばなるまい」。学校での朝顔の観察の経験をつんでいた小学生のわたしは自然とそう思い、ノートを用意して絵と、観察記録をつけだした。
よく三日坊主というが、三日も続けていたのかすら怪しい。
あまりにも変化がないので、やたら盛り上がっていた観察日記の絵への情熱のやり場に困った。必要以上にでかでかと鉢丸ごと絵描き出しており、しまいには小石とか、鉢に飛んできたバッタを書いていたのを覚えている。
その後どうなったのか覚えていない。今花だんに生えているあのもみじの木を、あのときの赤ちゃんもみじではないかと都合よく思ってみる。
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