こんばんは、というか、おはようございます。 寝起きで夢心地のあまつばめです。
土曜日、意識的にて徹夜して、疲れがいっこうにとれていません。 眠くてしょうがないのは体力が落ちている証拠です。 おかげで帰りの電車で1駅乗り過ごしました。 ・・・よく、1駅ですんだものだ。
半分夢の中で考えました。 人間は人生の3分の1を眠っています。 仮に75年生きるとして、50年起き25年眠っているわけです。
先に50年間寝ないで生きまくり、25年眠って死ぬのは楽な人生なのか? 少なくとも駅を乗り過ごすことはなくなるだろうし、眠るために家路につかなくてもよくなります。 寝る時間も惜しんでやりたい事があるときは、思う存分できます。 夢が途中で覚めることもないでしょう。25年分も夢見れるのですから。
人工的に冬眠する研究もされています。 目ざめたら100年後、というものSF小説みたいでかっこいいです。
眠りまくって待ち望む人生や、起きまくって追いかけつづける人は、頭の中でシアワセ光線(エンドルフィンやドーパミン)が出まくっています。 起きつづけている・寝つづけているのは紛れもないシアワセなものです。
それでも人は、日に1度眠って起きることを普通としています。 眠っているのもシアワセ。 起きているのもシアワセ。 両方求めるのが一番のシアワセなのでしょうか?
そうだともいえるし、違うともいえる。 夢を見るのは好きですけど、「これは夢だ」とどこかで自覚しているから、目が覚めることを知っているから楽しい夢です。 迷路やパズルは、終わりがあるから楽しく、終わらないのは苦痛でしかない。 眠れば楽になるのに、「絶対眠るものか」とがんばるのは矛盾した楽しさがあります。 眠りたくないのに眠ることや、眠りたいのに眠らないのは退廃的ながらもシアワセなのでしょう。
バスを乗り過ごさないようにしながら目をこすり、ようやくついた停留所に降りたときの風。 なんでもないものを感じました。
ものすごく眠くて、帰ってすぐに横になりました。 夢の中で『眠り姫』が出てきましたけど、それがすごく悲しく見えました。 いつか目覚めることを夢見ながら、それでも眠りつづけなければならない。 自分では何もせずに待っているだけのそれは、どんなに眠くてもなりたくないと思う姿でした。
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