あまつばめの雑記
こんばんは。いらっしゃいませ。

2002年03月11日(月) 眠いです。

こんばんは、というか、おはようございます。
寝起きで夢心地のあまつばめです。


土曜日、意識的にて徹夜して、疲れがいっこうにとれていません。
眠くてしょうがないのは体力が落ちている証拠です。
おかげで帰りの電車で1駅乗り過ごしました。
・・・よく、1駅ですんだものだ。

半分夢の中で考えました。
人間は人生の3分の1を眠っています。
仮に75年生きるとして、50年起き25年眠っているわけです。

先に50年間寝ないで生きまくり、25年眠って死ぬのは楽な人生なのか?
少なくとも駅を乗り過ごすことはなくなるだろうし、眠るために家路につかなくてもよくなります。
寝る時間も惜しんでやりたい事があるときは、思う存分できます。
夢が途中で覚めることもないでしょう。25年分も夢見れるのですから。

人工的に冬眠する研究もされています。
目ざめたら100年後、というものSF小説みたいでかっこいいです。

眠りまくって待ち望む人生や、起きまくって追いかけつづける人は、頭の中でシアワセ光線(エンドルフィンやドーパミン)が出まくっています。
起きつづけている・寝つづけているのは紛れもないシアワセなものです。


それでも人は、日に1度眠って起きることを普通としています。
眠っているのもシアワセ。
起きているのもシアワセ。
両方求めるのが一番のシアワセなのでしょうか?

そうだともいえるし、違うともいえる。
夢を見るのは好きですけど、「これは夢だ」とどこかで自覚しているから、目が覚めることを知っているから楽しい夢です。
迷路やパズルは、終わりがあるから楽しく、終わらないのは苦痛でしかない。
眠れば楽になるのに、「絶対眠るものか」とがんばるのは矛盾した楽しさがあります。
眠りたくないのに眠ることや、眠りたいのに眠らないのは退廃的ながらもシアワセなのでしょう。

バスを乗り過ごさないようにしながら目をこすり、ようやくついた停留所に降りたときの風。
なんでもないものを感じました。


ものすごく眠くて、帰ってすぐに横になりました。
夢の中で『眠り姫』が出てきましたけど、それがすごく悲しく見えました。
いつか目覚めることを夢見ながら、それでも眠りつづけなければならない。
自分では何もせずに待っているだけのそれは、どんなに眠くてもなりたくないと思う姿でした。


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あまつばめ [MAIL]

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