2005年03月05日(土) 田中もQさん、追悼。

2005年3月5日。もQさんが亡くなられた。享年47歳。胃がんだそうです。

私たちが最後にもQさんに会ったのは昨年秋のネッド・ローゼンバーグのライブだった。それ以前にがんのために入院し手術を受けたという話を伺っていた。この日のライブはネッドとニューヨークでレコーディングをした臼井さんの他、ゲストとしてもQさんも出演してネッドとのDUOを果たしたのだった。がん手術を受けたもQさん、という先入観があったかもしれないが、私はこの時のもQさんの演奏が良かったと感じた。何か「命がけ」みたいな、そんな空気を勝手に受け取ってしまったのだ。演奏の後、いい感じで笑い、ネッドと握手をしていた。以前と変わらぬ心優しき豪快さに安心して、ライブのあと、もQさんに声をかけた。
「入院してたんですってね」
「うん! 見る?」
もQさんはにこやかに笑いながらTシャツのすそをまくしあげた。おなかに、そのまんま子供がいたずら描きをしたような手術痕があり、言葉に詰まってしまった。その日のライブの時に配られたフライヤーの束には、もQさんのライブの情報に関するフライヤーも幾つかあった。これを完全なる全快と見るべきか、それとも・・・、とそんなことを心に浮かべたものだった。

2月半ばにもQさんがゲスト出演するライブがったそうだが、入院することになって出られなくなった、という話を聞いた。うわって感じ。やられたって感じ。心に浮かんだことはその時、言葉に出せなかった。こんなことを思ったのだ。「もしも私かTAKEDAがそんなに遠くない先に余命を宣告されたとしたら、頭の中でもQさんの顔を思い出すだろうなあ。もQさんがつぶらな瞳で笑ってるところを想像したら、ちょっとは恐さが薄れるかもしれないな」と。
まだ「入院した」という話を聞いただけで、それががんの転移のためかそうではないのか知らないうちから、もQさんの死を想像するなんてあまりに不謹慎で、そう思ったことをTAKEDAにも言えなかった。


もQさん、という名古屋の名物男。スキンヘッドのサックス吹き。
20代の頃、梅津和時さんがラブリーなどでライブをするのに行くと、大抵もQさんも聴きにきていた。また、30代の頃、大友良英さんのライブに行くと、そこにももQさんは来ていた。ちなみに私達はまだもQさんに面識もなく、だから私達だけの会話の中で勝手に「もQ」と呼び捨てにしていた。
「私達が行くライブに必ずもQがいるね」と。
もQさんは私達を知らず、こっちが勝手に認識していたそんな頃。
それがいつしか、もQさんと知り合うことになったのだ。

私は、TAKEDAが今のTAKEDAであるために、数人の男性がTAKEDAを助けてくれた、と思っている。手を差し伸べてくれた方は、それほどのことと思ってないかもしれないが、その手を掴んだ方にとっては、それは忘れられない記憶となる。
TAKEDAは心身の健康を僅かに損なっていた頃があった。
そのことに関して何も言わず、急に、路上で即興演奏のDUOをやろうと声をかけてくれたのが、ベーシスト鈴木茂流さんだ。これがTAKEDAにとって初めて他人と一緒にやる即興のライブだった筈だ。お客は私と、それから時折立ち止まる通りすがりの人だったけど。
その後、何の当てもなくただ楽器を持って遊びに行った今池春祭りで、一緒にやらないかと声をかけてくれたのが、ギターのガイさんだった。そこに松本健一さんや「なんや」のぷよさんや、そしてもQさんがいたのだ。その後しばらく、本当に気持ちよく流されるままにTAKEDAはいろんな人からの誘いを受けた。いろんなライブの場所を用意し、いろんな人とのセッションに呼んでくれた人、それが臼井さんであり、そしてもQさんだった。鈴木さん、ガイさん、臼井さん、そしてもQさん。TAKEDAはこの4人の人たちにものすごーく救ってもらったんじゃないか、と私はずっとそう思っている。

さて、もQさんは怒ると恐い人、という話をよく聞いていた。根が真面目で怒らすと恐い、ケンカっぱやいなどという噂だ。しかし私達は怒ったもQさんを見たことがなかったのだ。小さな目をくりくりいわせて、笑ってる顔しか見たことがなかった。明日はお通夜だそうだ。祭壇の写真は、私達がこの顔しか知らない、というような笑顔なんだろうなあ。そう思っただけでつらくて泣けてくる。

私達はもQさんのことが好きだけど、付き合いはそれほど長くも深くもない。最後に会ってから3ヶ月ほども経ってるし、病気について深く聞いた事もない。そんな立場で無責任なことを言うのは甚だ失礼なんだが、残された人間の一人としての気休めでもあるけれど、勝手な推測を書いておきたい。
ありきたりの言い草だけど、もQさんはやることやって満足したよね、きっと。私はそう思いたい。そう言うとTAKEDAは「まだまだこれからだったよ」と言うけれど。
柳川さんとのCDを出し、退院後にいっぱいライブをやって、「さあ、老後はどうしたらいいんだ」なんて思い悩むこともなく、みんなより先んじてさっさとあの世にいってしまったのは、もQさんらしい、なんて思ってしまうのだ。いや、私なんぞの知らない苦悩や苦痛や孤独があったかもしれなくて、「アホか。簡単にキレイごとにするな!」と怒られるかもしれないけれど・・・。けど、もQさんの47年間は、きっとあの世とこの世の境界線でもQさんが振り返ったとき、「まあまあ満足やな!」と言うような、そういったものだったろうと思うのだ。


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