2004年03月04日(木) 臼井さん



この絵は99年頃に臼井さんに大丸ラーメンに連れてってもらった時のことを描いた絵です。
この時はよく似てると思ったけど、今はもっと笑っている顔が多いかなあ。でも「謎の人・・・」という部分は変わってないや。

臼井さん、というのは、名古屋でフリーインプロ系のギタリストであり、PAエンジニアをやっている臼井康弘さん、のことです。
私はよく、臼井さんのことを思い、不思議な人だなあと思い、そして事あるごとに惜しみなく感謝している。ホントに、人生ってのは1本の糸には例えられなく、ものすごくたくさんの糸が絡み合って、その「人」となっていくように思います。そして、私やTAKEDAの「今」を構成している糸の一本の端っこには、臼井さんがいるのです。

臼井さんに初めて会った日の事をよく覚えています。今はないあるライブハウスに大友良英さんのライブに行き、そこのアンケート用紙に記入しました。その用紙を管理したのが臼井さんだったらしく、随分経った頃、臼井さんの名前で1枚のDMが届きました。それはKUKUという小さな店で大友さんと水谷浩章さんのDUOのお知らせでした。そのライブは同時に臼井さんと京都の花輪さんの即興のDUOもあったのです。
私とTAKEDAはそのライブに出掛けました。そこで臼井さんに声をかけられたのです。
「今日はどうしてこのライブを知ったのですか?」と。
『アンタからのDMだよ』と心の中で思いながら、そのDMを見せました。で、私達の目当ては大友さんで、その前の臼井さんのギターは、「変なギターだなぁ・・・・。早く終わって大友さんが聴きたいよ」と、正直そう思っていたのです。
その次のDMが来たのは、TOKUZOのオープンのお知らせで、その後、TOKUZOでの「藤井郷子オーケストラ」のお知らせがきました。それに初めて行った尾が、私たちにとってのTOKUZOデビューでした。初めて聴いた藤井郷子オーケストラは、ものすごく面白くて感動しました。そのことを私のHPの掲示板に書いたのです。で、その後一体どういう具合だったのか、何人かのミュージシャンがその書き込みを見てくれ、掲示板に書き込んでくれたのです。それまでステージと客席は遠いものだと思っていたのですが、自分でそう思っていた垣根を軽々と乗り越えていろんな人が声をかけてくれたのです。
そうやって知り合いになった方たちとは、その後いろんなご縁があり、またその先へと繋がっていきました。そして臼井さんという人は、時折ひょこっと現れて、その橋渡しをもしてくれるのです。

その後、TAKEDAをいろんなライブに出演の声をかけてくれたのは、殆どが臼井さんでした。藤井オケに始まり、いろんな即興のライブや横川タダヒコさん、林栄一さんも参加したHEX、韓国の佐藤行衛さんやパク・チャンスーさん、沢田穣治さん・・・。思い返すだけでもちょっと目が回りそうで身に余るような出来事です。

んで、当の臼井さんといえばどんな人かというと。私がイメージする、こういう様々な企画を立て、段取りを組み、また自らも様々なミュージシャンと共演する人というと、なんか「ガンガン」って感じかなあー。「バシバシ」って感じかなあー。でも臼井さんはガンガンでもバシバシでもない。
あ、とってもマメな人です、誰よりも。しかし、一目でインパクトのあるタイプではないようです。謎の、ゴムのような人です。「なぁんだ、ゴムかぁー」と思って、試しにちょっと口に入れてみると、なんだかかすかに味が染み出してきて、噛んでも噛んでもいつまでも味がなくならなくて、「でも一体これは何味だ?」と思うと言葉にならないような、そんな人です。藤井オケでのメンバー紹介は、曲一曲分あるほど長くて、それもいつも奇妙な味で面白いです。しかし、2人で向かい合うと、お互い喋ることに困って黙りこくってしまいます。去年はなんとエリオット・シャープと共演し、レコーディングまでしちゃったそうです。臼井さんのギターを弾いてる姿は決してハデではなく、相変わらず変なギターですが、バンドのメンバーの多い時の演奏ですと、非常にいいツボを抑えるような絶妙な音を出します。
こうやって羅列するといくらでも語れるのですが、簡潔な言葉で人に伝えることの出来ない臼井さんに、私はいつもいつも感謝しています。


 < 過去  INDEX  未来 >


ロジウラのマタハリ 春光乍洩 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加