ふつうっぽい日記
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2019年05月07日(火) |
そうできるようになるまで、「変調」と向き合わねばならなかった |
新しい元号となって、一週間である。 この空間も「日記」と言うには、間が空きすぎている。 それでも、「ま、いっか」と思える今日に感謝。
昨日、久しぶりに長文のメールを友人に送った。 5月というのは、何やら活性化しやすいなと自己分析している。 久しぶりといえば、会うのも久しぶりだったのだ。 それでも、長年の付き合いという状況にあるのだから、「腐れ縁」とでも言えるか。
メールを書くにあたって、実にいろんなことをノートにメモしていた。 一応、自分の中で風を通しておきたかったのだろう(たぶん)
今、また、そのノートのメモを見ながら、メール的なものを書こうとすると違った展開になるだろうと思う。
ーーーー それは、本屋を歩きながら考えたり、思ったりしたことだ。 本屋の棚というのは、私にとっては、そういう「巡り」を潤滑してくれる力があるらしい。
Aは、自閉症関連の学びを学生時代行っていた。 卒業後は、畑違いの仕事に打ち込んだ。 Aは、自分が自閉症関連のことを学んだ過去を持ちながら、我が子のサインを見抜けなかったこと、いや、サインに気づくのが遅くなったことを嘆いていた。 職業として「分断」してやっていたら、見抜けていたであろう。 しかし、同時に「ありうる」こととして、差異のようなものを飲み込めたのではなかろうか。 もしも、途上でAが破綻していたら、子もきっとなんだかで破綻していたであろう。 ある意味「適応」しているといえる。 受容の素地みたいなのが、Aには備わっていたのだろう、と。
「仮に親が気づいていたとしても、他者から問題だけを指摘」されると、どうだろうか。 そう簡単に「受容」はできないだろう。 複雑な葛藤が出てくるはずである。
ーーーー ある母親が異様な光景としてつぶやいてきた。 異様な光景とは、子どもが石を持って帰り玄関の入り口に重ねるというものである。 しかし、私は別の子が同じように「石積み」をしているのを見かけたことがあった。 その子同士は、まるで面識はない。 ただ、その2人の子は、たしかに「課題」を抱える子ではあったのだ。 私にとっては、「ありうること」であった。 つまり、「異様」には映らなかったのだ。 解釈はいろいろあるだろうし、その子なりに思いもあるだろう。 私はこう思った。 確かな自分、昨日から今日への理解。 分断しそうな自己をつなぐための、自分自身へのメッセージ。 リストカットにも似ているかもしれない。 他の人が、文章を書いたり日記を書いたりするように、「ふつう」に行われる。
ーーーー ある会で、Aはたまたま自分と同じ服を着ている人と同席することになった。 Aの第一声は、「嬉しい!」であった。 Bは、「それは、かぶったというのよ」と諭した。
ある食事会で、Aはたまたま近くのテーブルの客が同じメニューを頼んでいたことを観察して、「怖い」と思った。やがて、別の料理が運ばれてきて、「違い」に安堵したのだった。
共通点に喜びを感じることもあれば、その共通点に恐怖を感じることもある。
2人で定食なんかを注文するとき。 親しい間柄だとメインをシェアする、ということもありうる。 しかし、1人で一人前を食べたいということもある。 どちらも分かるが、たったそのことだけでも、「別れ」の原因になりうる。
家族のルールの内と外。 他人と関わることで、価値観が変わる。 グルッと変わるのは、たとえば結婚生活だ。 お互いの家の「ふつう」がミックスされていく。 また、実家のルール的なものが「異質」であることを思い知っていく過程でもある。 それが家庭だ。
ーーーー 「ふと思い出したこと」を語っているうちに関連したさまざまな「記憶」が、「芋づる式」に甦ってくる。
とくに、懐かしい友とも再会では、そのあたりが非常に活性化する。 いつもとは違う脳の部分が働いている、そんな気もしてくる。
ーーーー 特別支援学級。 私の小学校時代をふり返ると、この学級はあった。 当たり前だと思っていた。 この存在。 今でこそ、ほぼ当たり前のようになっているだろうと思われるが、そうではない時代もあったのだ。 別の校区から登校して、在籍するように。 言われてみれば、私の小学校時代のそれも、少し遠くから親に送迎されていた子もいた。 障害は複雑ではあるが、軽度の知的障害を持つというのは共通していた様子だった。 私は彼彼女等と遊ぶのが好きだった。 気づいたらその学級の近くにいて、「遊ぼう」と手を取られて、教室の中や外で一緒に遊んでいたのだ。 その時、自分の在籍する学級の友達もいただろうに、何をやっていたのだろうと思うが。 もしかしたら、複数で遊んでいたのかもしれないけれど、私の記憶では私1人でその学級に遊びに行っていた。 「どうして、自分はココにいないのだろうか」と疑問に思った記憶も覚えている。 少人数体制で、その規模が羨ましかった。
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矛盾した環境の中で育つこと。 「ダブルバインド」的な指示の中で、育つということ。 指示をした者は、「ダブルバインド」という言葉も意味も知らないだろう。
指示をした者も。そうなってしまう環境に育ってきたのだ。 それをあえて、「カッコ」でくくり、洞察できたということ。 それは「連鎖」を食い止めることにも役だったかもしれない。
例えば「片付けなさい!」という指示は、指示する者が常に「片付ける」ということをやれていれば、自然とその姿から「片付ける」という現象を取り込むことに成功するものだ。 自分が出来てないことを指示する、「強要」するということ。
「片付けられない○○」という傾向は、ADHD的であろうと思われる。 指示する者もまた、自分自身の中で困り果てていたのだろう。 今なら、「察する」ことができる。 ただ、そうできるようになるまで、「変調」と向き合わねばならなかった。 波紋の様に。
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