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飼い主、座禅に挑むの巻。 2004年10月23日(土)

JUGEMの管理用サーバ、すこぶる調子悪い。

ンども。寒くなって参りまして、脳味噌も体も動かなくなっているSaYaです。冬眠の季節も近いー。

さてさて、愛宕の麓、東京タワーを望むごーせーな寺に座禅組みに行ってきました。ここのお寺は友人の後輩のおじょーさんのおうち。何でも、えらく由緒ある曹洞宗のお寺さんで、関東大震災や空襲でいろいろと失われてしまったのを、愛宕ヒルズのオーナーである森ビルが協力して2002年に直したのだそうで、その成果がここいらあたりにまとめられている。
大きいお寺だとは聞いていたけど、こんなにすごいところだったとはー。

小さい頃から座禅が好きで、趣味がこうじて禅宗の僧侶になってしまったという、一風変わった経歴をお持ちのおぼうさんに、お作法を教えてもらう。中国人のように手を胸の前で組んで袖で隠すのは、やはり中国の仏教から渡ってきたお作法なのだそうだ。理由は「袖が邪魔だから、腕振って歩けないでしょ」ということだそうだ。そんなんかよ!

座禅を組むのは2回目。前のときは見よう見まねレベルの「観光者向け・楽しい座禅」だったわけだが、今回は僧侶が修行をするための坐禅堂に案内されて、建物や設備の説明を受けたりとか、座禅の姿勢の作り方、「坐禅堂の中ではしゃべらないように」などの簡単なお作法の教示も受けて、なんだか本格的ねーという感じ。座禅って目をつぶらなきゃいけないと思っていたけど、ここの座禅は目を開けたままでいる。姿勢は崩さないように、背筋を伸ばして、たるんだら直す、これを繰り返すのだと言い聞かせられて座禅スタート。よーし、がんばるぞ。

座禅というと、邪念をはらって無を会得する、みたいなイメージがあるけれども、話を聞いていると、どうやら「無理な姿勢を保つことに意識を集中すれば、他に考え事なんてできないはずでしょ」ってことらしい。
足を組み続けること、姿勢を保ち続けること、手を組んだ形がゆるまないこと、息は30秒くらいかけてゆっくり吐くことetc. 座禅は静的に見えて実はいろいろ忙しい。20分くらいだったので、時間的には物足りなかったけど、姿勢を保とうと一生懸命になっていると、考え事する暇、ないわな。えっと、座禅組んでる間は余計なこと考えなくて済むけど、座禅が終わったら元に戻ります。ほんと、寝逃げと一緒。

お坊さんはこのことを『普勧坐禅儀』の一説を持ち出して説明してくれたけど、わけわからじ。「まったく考えないなんて無理じゃないですか」という弟子の問いに、道元さんが「非思量をするんだよ」と答えたそうなんですが、「思考するのではなくて、意識をするのだ」とでもいうことか、にゃ〜(わからん)。

どうやら、「人って思考するときは必ず言葉を使うから、座禅するときはそこから離れましょうね、頭の中で言葉を連ねるのをやめましょう」ということらしい。体に意識を集中すると、確かに意識は働いていて、だから無には絶対なれないんだけど、余計なしがらみから開放される、という仕組み。これは、交流分析の「今ここにいる私」と似ている。お坊さん曰く、「座禅組んだからって無にはなれませんよ、意識してないとあの姿勢は保てないし。無になりたかったら寝てりゃいいんですよ」とのこと。おーなるほど、寝逃げすんのと似たようなもんだな。

やってる間しか救われないのも寝逃げと一緒ですね先生。

座禅を組むときに使う座布は3000円くらいで買えるらしい。「お寺ですることにこだわる必要はなくて、おうちでも壁に向かってやっていいですよ」とのこと。
真面目に座禅組んでみたら、日頃自分がいかに姿勢に気をつけてないかってことが身にしみてよくわかったので、おうちでやってみるのもいいかもしれない、と一瞬思ってしまいました。というか、坐蒲(ざふ:座禅を組むときに座るお座布団)がころころまるっこくてかわいーんだよね。仮眠用枕にもよさげ。

終わってから、一緒に行った人らとお茶してるときに、隣で座禅組んでいたT氏に「こいつさー、横目で見てたら、背筋がしゃんと伸びててさー、足もちゃんと組んでてすげーかっこいーんだよー」といわれた。「座禅がキマッててすげー」とか褒められても、あんまり嬉しくない。もっと褒めるとこないの。ヲレかえって悲しい。


境内にいたカエル。





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