親戚が亡くなったこと |
2001年10月22日(月) |
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名古屋で教師をしていた親戚が亡くなりました。 昨日のコトです。 私にとっては伯母に当たります。 日曜日、突然の訃報でした。
月曜日から 何らかの仕事の締め切りやアポイントが目白押しで お通夜にもお葬式にも行けません。
伯母はここ1年くらい体調がすぐれずに 病院に行ったところ それで癌だったとわかっていたみたいなんですけど 独り身で近くに身寄りが住んでいなかったもので(地元から離れて仕事をしていたので) お医者さんが 嘘の病名を伝えていたようで。 それが最近になって 告知され 末期だぞ、どーしよっかなー、という状態でした。
この伯母さんは 私にとっては比較的特別な人で ずっと独身を通していて 子供がいないせいもあったんだろうけど 母親のいないうちの子たち(あたしの子じゃないよ?)を ずっと気にかけてくれていた人です 離れて暮らしていたので 特別何かしてもらったというワケでもないんだけど 通じるところかあったのか 小学校のセンセだからか おこちゃま並にひねたような私の気持ちを察してくれる人でした。 解決にはなりませんでしたけど 理解してくれる人がいるというのは 思春期の子供にとっては 心強いモノです。 夏休みなんかに 帰省してこの人と話したりすると いろいろと思い出すことがあって 泣けてきたりしたものです
上の兄弟姉妹がどんどん他の家の人になってしまって 一番下の子なのに家を背負わなくてはいけなくなったこの伯母は 子供の私を相手にしては よく愚痴ってました。 家も墓も大事。でも、他にも兄弟がいるのにみんな身勝手だから、と。 母親といいこの伯母といい 私は人の愚痴を聞かされる子供だったのですが(笑) この伯母には共感するところがあって よく慰めていました。 ついでにもらい泣きとかしてました。 ちなみにこの伯母は、私の母親だと言い張ってもおかしくない歳でしたけど。 そんな年回りのわりに、よき理解者同士とでもいうような関係で 伯母に愚痴りはしなかったけど、支えにしていたのかも知れない。 その叔母が死んだのが、とてつもなくショックだ。
さらにショックなのは、キモチに穴でもあいたのか 感情がだいぶひからびているせいか 涙がでなーい。 こまっちゃいました。 泣いてあげたいのにな。近くに住んでないからリアルじゃないのかも知れない。 死体を目の当たりにしたり 仏壇の前に座ったりすると 嗚咽はとたんに始まるものなのだ。
あまり、こういう場所でこういうマジネタさらしたくないモンですが この人が死んで ついに、親が1人もいなくなった気分だ。
喪主は 今は嫁いで都内に住んでいる 上のお姉さんがつとめているようです 納骨の前に東京につれて帰ってくるらしいので ねーちゃんとお香をあげに行きます。 実家で改めて葬儀をやるんじゃないでしょうかね。 キリスト教の洗礼を受けた人でした。アーメン。
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