原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2005年10月13日(木) Re:排米

(初め原案帳#23に書いたけど、あまりにも長いのでこちらに移しました)

日米関係を「不健康な関係」と捉えてみて、ふと感じたこと。

日本とアメリカの関係は「ドメスティックバイオレンスの夫婦」に似ている。
アメリカがバタラー(加害者)、日本がバタード(被害者)。
基本的には殴る奴が悪いに決まっていて、アメリカが世界のあちこちでテロを誘発させては侵略戦争ばっかりやってるのは典型的な「DV野郎」だと思う。
「あいつが先に殴りかかってきたんだから、オレはあいつを殺していいんだ」みたいな。過剰防衛もいいところ。チンピラかっつーの。いいかげんにしてほしい。

でも、殴られるのを耐えたり受け入れたりしてしまう側に問題はないのか?
よくDV被害者のサイトなどでは「あなたは決して悪くありません。悪いのは殴る側だけです」と言って被害者を励ますけれど、あれはそうしないと被害者が加害者から逃げ出すことができないからで、客観的に見て「加害者だけが100%悪い」ということは、本当のところはないのだろうと思う。

わたしは、アメリカが「世界の警察」になろうとしてあちこちで暴力沙汰を起こすのを見ていて、その原因の一つはもしかしたら日本にあるのではないか?という気がしてきた。
もしかしたら、日本はアメリカから「逃げ出す」べきなんじゃないか?
日本が逃げれば、アメリカも暴力を止めるのではないか?

それとも、日本も「殴れる」ようになれば、アメリカが世界の暴力に過剰反応して侵略戦争を起こすことなどなくなるのか?
……いや、それだけは違う。
いわゆる「作る会教科書」などで日本の過去の暴力を正当化しようとするのは、あれはぜんぜん間違ったやり方だと思う。
暴力は暴力で、何をどう言い訳しようと悪いものは悪い。
その意味では、「あの人がわたしを殴るのはわたしにも至らないところがあるからだ」と受け入れてしまうDV被害者が間違っているのと同じで、日本が中国を侵略したのも悪いことだし、アメリカがイラクを侵略しているのも悪いことでしかない。
こういうことは、言い訳しないで単純に考えるべきだ。

単純に、というのは、暴力の背景になることがらがあれこれあるのも当然で、それについては真剣に考えなくてはいけない、ということと、暴力の正当化、この二つを結び付けてはいけない、ということだ。

確かに2001年9月11日のテロは、今でも現実に起きたことだったのかどうか信じられない気がしてしまうくらい、ショッキングな出来事だった。
テロという暴力は絶対に許してはならない。
ただ、そういうことがあったからアフガンやイラクを侵略することが正しい、と言って結びつけてはいけない、ということだ。
その意味ではブッシュは世界規模でDVバタラーなのね。

確かに20世紀は「戦争のできる国しか独立国ではいられない」という時代=帝国主義時代=だった。
でも、そういう焼肉定食じゃなくて弱肉強食が、いずれ出遅れた国々を凶暴化させていくのは時間の問題で、ドイツやイタリア、日本など「帝国主義的独立」に関してボーダーラインの国々はそのまんま凶暴化していった。
先を行く「連合国」にとっては叩き潰すためのいい口実を、自ら作っていった。
その結果として数百万人(?数千万人だったっけ?)もの死者を出す悲惨な状況を迎えたから、20世紀後半から少しずつ「戦争そのものをなくしていこう」という風潮が芽生え、発展していったのではないか。

21世紀は、たとえ「連合国」であろうと「戦争」という手段によって国際紛争を解決することが全面的に許されない時代になるだろう。
戦争を起こしたら、起こした側が「枢軸」。
イラク戦争の「枢軸」は実はアメリカなんだよ。
もしもそういう時代になりそうもなければ、わたしたちがそういう状況を作っていく努力を全力でしていかなければならない。

これは、そんなに簡単なことではない。
テロリストはなかなかいなくならない。
彼らを武力で殲滅しようとしても、あとからあとから似たような連中が出てきて、どうせきりがないだろう=戦争の時代が続くだけ。

大切なことは、テロリストが「テロなんかやる気がしない」ようになること。
「テロなんかしても無駄」
「テロなんかよりもずっと良い方法で、自分たちの生存や生活や精神が守られる」
ということが、世界中に広く知れ渡ること。
それが達成されなければ、逆に言えばアメリカがどんなに派手な作戦を展開しようとも、テロリストはいなくはならない。

日本を再軍備する方向で「改憲」の動きが活発になってきているけれど、そんな時代の逆を行くようなことしてどうするの!?
今よりもテロは活発化するだろうし、東アジアの平和も守れなくなってしまうだろう。
(朝鮮戦争以降東アジアで戦争が起きていないのは日本国憲法のおかげでしょう!――厳密に言えば朝鮮戦争が「休戦」状態で膠着していることになるわけだけれど、再度戦闘状態に陥らなかったのは日本国憲法のおかげだと思う。それが皮肉にも米軍の日本駐留を正当化することになり、米軍の睨みで実戦が起きなかっただけだったとしても!)

もしも「憲法改正」するのなら、今ある「9条(と前文)」の精神をより強化する方向で改正するべきだ。
それができるなら、わたしは決して60年前に制定されたものを「一言一句変えてはならない」などと原理主義的なことを言いたいとは思わない。
でも、今、それ、ぜんぜんできそうもないじゃん。

日本人のプライドは、決して「あの戦争は正しかった」などといって野蛮な暴力を正当化することなんかで守られたり強められたりすることはない。
むしろ、たとえ押し付けであったとしても「非戦」を盛り込んだ憲法を戴き、押し付けてきた本人=アメリカが「そんなの止めちゃえ、変えちゃえ」といくら言ってきても変えることなく守り続け、20世紀後半を一切戦争せずに(暴力としての実戦のこと;「厳密に言えば戦争に荷担しているのに奇麗事を言うな」という議論は詭弁だ)過ごしてくることができた、その歴史をこそ誇り、プライドとするべきだ。
もしもそのことにそれほどまでの自信が無いのなら、それこそもっともっと強化し、世界中に9条の精神を輸出し、「平和をばらまいていく」べきだ。

もちろん、戦争のない状態にもさまざまな問題はある。
まず、人口が減らないので(!)、放っておけば貧困や飢餓はむしろ深刻化していくだろう。
「平和」の陰で闇から闇へ葬られていく暴力(個人的な・ミニマルな規模での暴力)も、戦争さえなくなれば直ちになくなるなどというものではないだろう。
これも、放っておけばむしろ陰惨な拡大のしかたをするかもしれない。
「社会が腐敗する」ことだってあるかもしれない。

過去の歴史は、ほとんど例外なく平和の後にこれらの現象を引き起こし、平和を手放すしかない破局へと向かっていった。
それを変えることができるのは、未来にしかありえない。
その未来は、しかし、この100年間であるべきだ。
世界人口が100億という、その数字だけで既に「破局」と言っても仕方ないような状況を迎えるのだから。
できればその半分くらいまで減ってほしいとわたしは思うけれど(だって100億もいる中で生きていくなんて、そんなの想像するだけでも気持ち悪くてやってられないじゃん!今だって十分多すぎると思う)、それは絶対に平和な方法、世界中の人たちができるだけ納得できる方法で行われるべきだ。
(納得できない人たちはまたテロとかそういう暴力的な手段に追い詰められてしまうだろうし)

わたしには、これらのことに具体的な答えを出せるほど頭が良くはない。
でも、こうした課題を受けて、それに答えを出す世代が、これから育ってほしい。
ちゃんと考えて答えを出そうとする若い人たちがいる、ということをわたしは目の当たりにすることがある。
それはわたしにとって本当に心強いことだ。
どうか、どうか、お願いします。
愚かなわたしたちの世代を真似たりしないで(「ゲンジツ」とかいう言葉で冷めた見方をしようとする中年ほど醜いものはない)、理想に向かって猫まっしぐら!……あ、なんか間違えた? いや、真面目な話。

わたしの子どもも、できればそういう方向に育ってほしいと思うけれど、……
きっと親の意向とは反対に育っちゃうんだろうなあ。
わたしみたいに。
わたしが子どもからのテロでやられちゃったりして。
ふっ。それならそれで、本望だけどね。
でも、わたしなんかのために犯罪者になってはほしくないなあ。
どうか健全に育ってくれますように。
直接子育てできないので、神さまにお祈りするしかないんよ。
わたしがいつも神さまにお願いしているから、きっとあの子はいい子に育つ。
信じるしか、ないじゃん。

わたしの「つぶやき系」は、基本的に自分の子どもが幸せに生きていってほしい、と思うのが原動力なんです。

……それにしても、長い;;;
いちばん言いたいことが最後に出てきたので、これにて打ち止め。ほっ。


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