原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2005年01月18日(火) だめ

また、なんだか調子悪くなってしまった。

1.17でフラバった、とか。
たいしたことはないんだけど。
だってわたし、被災してるわけじゃないもん。
単にテレビの見すぎで作られたパニックに陥ったことがあるだけ。

一昨日は、救われたと感じたのに。

今日は、サイテーなことをしている。
このままではまた、元の引きこもりに逆戻り。

田口ランディは、ちょっと重たい。
田口さんのお兄さんは、引きこもりの末に孤独死し、ずっと発見されずに溶けてしまった。
わたしが3〜4年前に引きこもりしていた頃、わたしはその「兄」「引きこもり」という言葉をキーワードとして、自分を「溶けてしまったお兄さん」と重ねていた。
はっきり言って、わたしもあんまり変わらないじゃん。
今でも。

いくら稼いでも、すぐに使ってしまう自分が情けない。
だからと言って、それで落ち込んで仕事できなくなってる場合じゃないんだけど。

人のせいにすれば楽だ。
親にお金のことをちゃんとしつけられなかった、とか。
でも、もうそんなこと言ってる場合じゃない。
それを抱えて生きているのはわたしだ。
死んだ親が今のわたしに何かしてくれるわけがない。

自分でどうにかするしかない。

子どもを裏切るのは嫌だ。
でも、そうとしか言えないようなことをする。
大人を裏切ってもいい、とは言わないけれど、子どもと違って自分の分別を持っている。
しかし、子どもはそのまま影響を受ける。
だからわたしは、子どもを裏切りたくはない。

……って、わたしはなにを?
わたしが裏切られた子ども時代の話?
それとも、わたしが裏切って「捨てた」、わたしの子どものこと?

前に「Yoko」さんに言われたみたいに「自分の身勝手で妻子を捨てた」ことを自覚して苦しんでいるのか。

だとしたら、わたしはようやく「正気に戻った」のかもしれない。

でも多分、正しく見える世界は、わたしを別の狂気に陥れるだろう。
生きてはいられないほどに。

ごまかしてでも生きているほうがいいのか。
それとも、なにが正しいかに気づいて、間違った自分を正すのがいいのか。
正すことができればいい。
できなければ、間違った自分は滅びるべきなのか。

正しいことなんか、知りたくはなかった。

気が狂いそう。

しばらくの間、誰とも何も関わらず、静かにしていたい。

今、忙しすぎる状態に、もうついていけそうにない。


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