原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年11月04日(木) ブッシュ再選に寄せて

どうせそんなことだろうと高をくくっていたら、そのとおりになってしまった。
1ヶ月ほど前に田中宇の国際ニュース解説不正が横行するアメリカ大統領選挙というのが載っていて、今のアメリカじゃあそんなもんだろうな、と思っていたので、オハイオで何が起きていても、フロリダがどういうことになっていても、もう驚かない。
むしろ、ケリー氏が早々と「敗北宣言」をしてしまったあたり、これはもう裏取引とかあったんじゃないか、と思わされて、アメリカが金科玉条にしている「民主主義」がどれほど腐敗しているかを思い知らされ、そちらのほうに危機感を感じる。

以前は「ブッシュ最低! ケリーのほうがまだマシ!」と勝手に思い込んでいたけれど、よく考えてみれば現状ではたぶん誰が大統領職を引き受けてもたぶん事態はそんなに変わらなかっただろう、という気もする。
共和党=メンシェビキと民主党=ボルシェビキでは、わたしは民主党のほうがまだまし、と感じるけれど、どちらにしてもねえ。

日本は、少しずつでいいから中国とまともに付き合っていくことをしっかり考え、今はだいぶ逸脱しているけれど時間をかけて軌道修正していくことになるんだろうな、と思う。
アメリカの極東での影響力を安全なかたちで排除していくことも忘れてはいけないと思うし、そのためにはアメリカ自身が「ニューフロンティア」以来の拡大主義(世界征服の野望)を手放すことを学ぶことも抜きにはできないだろうとも思う。

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2年前までは「アメリカ中心に世界がまとまる」のもそれはそれでアリかな、と思っていた。
けれど、911に対するアメリカの反応を見てからは、考えが変わった。
振り返ってみると、それまでわたしの心の中で描く「アメリカ人」の像が、人間としてはちょっと考えられないくらい「完璧?」というか「理想化?」というか、そんな姿になってしまっていたので(だってそうじゃなければ「世界を任せる」ことなんてできるわけないから)、逆に911でたとえアメリカ人といえどもちゃんと感情のある人間=世界の他の地域の人たちの上に君臨するべきではない、ということをまざまざと見せられたので、世界を正しく認識しなおすためには911は有意義だったかも、と思う。
(しかしそれと事件の残虐性をはかりにかけることはできないけれど)

今は、何よりもアメリカ合州国の支配者たち自身が、自国による世界支配は無理だと判断しているようだし、これからはちょっとずつでいいから世界の民主主義を目指そうよ。
武力の必要じゃない世界を目指そうよ。

そのためには知恵が必要だ。
武力で相手を黙らせるのはいちばん簡単で、知恵なんか必要じゃないやり方だ。
もっと言えば、愚かなやり方だ。
なんのために首から上のものを持っているの、わたしたちは。

武力を行使しないでテロリストに武器を捨てさせることができる方法を、世界中の叡智を駆使して考え出そうよ。
それができなければ「Small World」なんて、ありえないんだよ。
世界中の国と国、人と人が、今まで考えられなかったほどお互いに緊密な関係を持ち(持たざるをえず)、お互いに強く影響しあって生きていかなければならない時代になっていくんだから。
今まではできなかったかもしれないけれど、これからはそれじゃいけないんだよ。

よく引き合いに出すけど、現代の愛知県警と山梨県警は決して「対立抗争」などしない。
もしもそんなことをおっぱじめたら、それはや○ざのみなさんと同じことになってしまう。
考えられないことだ。
けれど、たかだか500年前には、この二つの地域は異なる「国」として、お互いを「敵」と見做し、戦争をやっていたのだ。
もちろん、今でも都道府県警がお互いの仕事の「勢力争い」みたいなことをする場面は、絶対にないとは言い切れないだろう。
けれど、それにしても、ドンパチやる?
それが必要ないような共通のルールがある。それ以前に共通の「常識(っていう言葉は大嫌いだけど)」もある。

それを、世界のレベルで築き上げていくことこそが、21世紀の世界で最も必要とされていることだと思う。
今は「アメリカの言うこと聞かなければ武力侵攻」などという野蛮なやり方しか行われていないようだけど、そんなちゃちなやり方を許さないような、もっとしっかりしたルールが、世界中で共通認識として認められるようになることを、強く強く願っている。
そのためには、国連を土台にして、もっともっと強くて筋のとおった制度を組み立てていくべきだろう。

まあ、そのためにはまだあと100年くらいかかるかも。
わたしは、たぶん残念ながらそれが達成されるまではとうてい生きてなんかいないだろう。
でも、もしかしたらわたしの子は、それが現実のものとなる希望の光を見るまで生きているかもしれない。
わたしはそれを彼に託す立場にはないけれど、彼が未来に希望をもつことができるよう、心から祈っている。
未来は彼のものなのだ。

この願いを、再選されたブッシュ氏に送る。
再選されてしまった以上、わたしの思いは彼に託すしかないから。
(本当はそれもおかしいんだけどね。
上のほうにも書いたけど、拡大解釈すれば日本がアメリカの領土と言ってしまえるような異常な現状は、できるだけ早く解消されなければならない。
ただ、どうやらそのことと武力を必要としない世界の構築は、重なり合って実現されていくものらしい、という気もするんだけど。
その意味で、日本は平和な未来世界を築き上げていく上で重要なキー・パーソンならぬキー・ネイションになるだろう、とわたしは信じている。
非暴力は日本の誇りだ。決して「現実を知らない甘い認識」などではない。
むしろ、現代ではまだ実現していない、より高度な「常識」を必要とする、崇高な目標だと思う。

ありゃりゃ「日本国憲法」みたいになっちった。
でも、第二次世界大戦終結直後という、とても特殊な時だったからこそ、100年も先取りした内容の法律が降臨したのだと思う。
あと40年は「改正」の必要はないと、わたしは思っている。
たとえねじれた解釈しなくちゃならなくても、それが不正な解釈だということに罪悪感を感じている限り、日本人は正しい道を踏み外しはしないだろうと思う。
罪悪感を「改正」で解消しようとするのは、臆病者の逃げに過ぎない。
世界のほうを先駆的な憲法にあわせられるように改革していくことのほうが、日本はよほど自分が歴史上置かれている立場をまっとうできると思う。
改憲論者は日本人としての誇りを見失っているとしか、わたしには思えない)


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