- 2004年06月13日(日) アムネスティ日本発表:「君が代」について
★1・「君が代」強制反対/アムネスティ
★2・じゃあ「日の丸」は?
★1・「君が代」強制反対/アムネスティ
以下転載---------------------------------
アムネスティ日本発表
2004年6月9日
アムネスティ日本 info@amnesty.or.jp
http://www.amnesty.or.jp/
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アムネスティ・インターナショナル日本
「君が代」斉唱の強制に強い懸念を表明
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アムネスティ・インターナショナル日本は、2004年6月8日、君が代の斉唱に関して、生徒を起立斉唱させるよう指導することを教師に義務付ける職務命令を出す旨を東京都の横山教育長が都議会で発言したことに対し、強い懸念を表明する。
日の丸、君が代の強制については、すでに国旗、国歌法の国会での審議中、また審議後も、思想、良心の自由の侵害にあたるとする数多くの批判が寄せられている。そして何よりも、国旗国歌法を根拠とする君が代の斉唱などの強制および、それに反対する意思表明をした人びとに対する処分は、憲法第19条および自由権規約第18条の思想、信条の自由、憲法第21条、自由権規約第19条の表現の自由、などに対する重大な違反行為である。教師に対する一般的な指導という形式をとっているものの、この間、卒業式などでの君が代斉唱の際の不起立により、すでに都の教職員238人が職務命令違反で戒告などの処分を受け、生徒が起立しなかった学校の67人が注意や指導などの処分を受けていることなどを踏まえると、現在、思想、良心、表現の自由の重大な侵害が進行していると指摘せざるを得ない。また、こうした動きは、君が代斉唱の際の音量を計測した福岡県教育委員会の例など、全国に広がりを見せている。
アムネスティ日本では、すでに2000年4月16日、日の丸、君が代の強制が良心の自由を侵害するものであることを指摘する宣言を総会において採択している。しかし、その後の情勢は、思想、信条の自由、表現の自由を配慮した慎重な対応などではなく、一律に強制力を増す方向で運用されている。これは、自由権規約をはじめとして、日本も締約国となっている人権諸条約に明確に反する施策である。
また、日の丸、君が代の子どもへの実質的な強制は、子どもの権利条約第12条、第13条、第14条に反する重大な人権侵害であるとともに、外国籍の子どもたちの存在を考え合わせると、人種間の分断を強化する動きを禁じる人種差別撤廃条約にも抵触する可能性がある。
以上を踏まえ、アムネスティ・インターナショナル日本は、日本政府および関係当局に対し、教育現場への日の丸、君が代の強制を直ちにやめるよう強く求めるものである。
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(参考資料)
日の丸・君が代に関する良心の自由宣言
日本国憲法は、思想・良心の自由を保障し(第19条)、市民的及び政治的権利に関する国際規約は、これを具体的に「この権利には、自ら選択する信念を受け入れ又は保持する自由(第18条第2項)、単独で又は共同して、公に又は私的に、その信念を表明する自由を含む」(第18条第1項) 「何人も自ら選択する信念を受け入れ又は保持する自由を侵害する恐れのある強制を受けない」(第18条第1項)」と定めている。
国家行政組織法は、「(各大臣が発する省令=命令)には、法律による委任がなければ、罰則を設け、義務を課し、国民の権利を制限する規定を設けることができない」(第12条)と定め、命令より下位の法形式である「告示」(第14条)によっては「義務を課し、権利を制限する」ことを認めていない。
去る1999年に制定された国旗・国歌法は、義務づけ規定を置かず、また、これを省令に委任する規定もない。しかるに文部省、各地方自治体の教育委員会は、「告示」に過ぎない学習指導要領を根拠として、教職員に対し、日の丸・君が代に関する業務を義務づけ、これに従わない教職員を地方公務員法違反として、減給等の不利益処分を課し、また、子ども・生徒・保護者が、日の丸・君が代に関して自ら選択する信念を受け入れ・保持・表明することも困難にしている。これは、憲法・国際人権規約などの諸法規に明白に違反する行為である。
アムネスティ日本支部は、政府及び自治体の行為によって、日本全国各地で「思想・良心の自由」の侵害が生み出されていることを深く憂慮し、政府及び自治体が日本国憲法を尊重・擁護し、国際条約・法律を誠実に遵守・執行することを求めると共に、すべての人がこれらの自由を不断の努力によって保持することを希って、ここに日の丸・君が代に関する「良心の自由」を宣言する。
2000年4月16日
アムネスティ・インターナショナル日本支部2000年度総会
---------------------------------以上転載
わたしも、これまではぜんぜんしょーもない理由から『君が代』は大嫌いだった。
理由というのは「メロディがおかしい」ということ。
日本古来の旋法による、ということだけど、実はイギリス人が採譜したのだそうで。
で、近現代の日本人の誰も、あんなメロディーの歌を作ったり歌ったりしていない。
そういう「庶民=民族の感覚からかけ離れた楽曲」を「国歌」にしよう、というセンスが最悪だと思っていた。
皇族だったらああいうメロディに親しみを感じるのだろうか。
皇太子や雅子さんに聞いてみたい(皇族に対して敬語を使わないのは自分の良心に従ってのことです)。
オケやブラスにアレンジしても気持ち悪い和音ばっかりで、自分が参加していた中学高校のブラスならヘタでもあたりまえだったかもしれないけれど、日本はおろか世界中のどんなに優れたオーケストラが演奏しても、気持ち悪いものは気持ち悪く、ぜんぜん聞けたものではなく、聞けるようにもならない。
ところで……
このようにアムネスティが危険性を警告しなければならないほど異常なことを、なぜ政府や自治体が強行しなければならないのか?
その理由は、わたしが上に書いたようなことと紙一重のところにあると思う。
たいていの日本国民にとって、「君が代」は日常的に愛唱したいと思えるような歌ではないのだ。
それがわかっている(=「君が代」について自信が持てない)からこそ、躍起になって強制するのだ。
国歌、ちゃんと作ろうよ。
でも、「『君が代』の代わりにこの歌を国歌に!」という代替案は、今までのところ聞いたことがない。
わたしが作る? ……うーん、わたしにはちょっと荷が重いなあ……(←もしかしたらほとんどの日本人作曲家がそう思ってる?)
ねずみの相談かよ。困ったもんだ。
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★2・じゃあ「日の丸」は?
「日の丸」は、デザイン的には好きだ。
でも、あくまで単純にデザインだけの話。
その背後にある歴史を思うと、けっこうぞっとする。
俗説だけど、戦(いくさ)でとった敵の首を包んだ白布を開くと、ちょうど「日の丸」と同じような模様に血がついてる、とか。
戦に出陣するとき血判状を作ったらあんな感じになった(白地のところにはこれから死んでいく人たちの名前が自署してある)とか。
どっちにしても、戦争がらみの図案。
まあ、定説は「極東の国=太陽が昇る国」、昔聖徳太子が当時の大国・隋に向かって対等外交をしようとして「日出(いず)る処の天子より日沈む処の天子に云々……」という手紙を出した、とか。
「日本」という国名ともあってるし。
ただ。
ただ、ね……
あの図案を見ただけで「日の丸=侵略者」と思ってしまう、日本の周囲にある国々の人々もいる、ということを忘れてはいけない、というのは、わたしにとってどうしても譲れないところ。
だとしたら。
ここ20年くらい、ずーっと考えてきたのね。
まあ、真剣にじゃないけど。
でも、さすがに長いこと考えたおかげで、一つだけ「これは」と思える案が浮かんできたの。
日の丸の太陽のすぐ上に、青い色で小さく「ハト」の絵を入れたら。
もちろん、平和の象徴。
だって、日本は今後永遠に戦争はやらないんだから。
その決意を込めて。
(ハトの代わりに「折鶴」は? 日本人の器用さとか命を大切にする象徴とか福祉とか、意味が多重化するだろうけど。
でも、わたしとしてはやっぱりハトがいいなあ)
「平和の象徴なんて嫌だ」という人がいたら、それは憲法違反でしょう。
ま、そうは言っても、今の日本には日本国憲法の持つ世界史的な意味をぜんぜんわかってない人が、あまりにも多すぎるとも思うんだけどね。
なぜ気がつかないんだろう????
世界はこれから、日本国憲法、特に前文と第9条に定められているような「戦争放棄と国際平和の誠実な希求」に向かっていくんだよ!
9条がおかしいんじゃないの。
世界がまだ、9条についてこれないだけなの。
経緯が「アメリカからの押し付け」だったとしても、それこそ歴史の不思議な成り行きで「塞翁が馬」みたいなもので、あちらは自分の都合だけで「アメリカの敵=日本の再軍備を防ごう」と思っただけなんだろうけど、そういうレベルの低いエゴで押し付けたものが、たまたま世界史の未来を先取りするものだった、っていうこともあるのよ。
今はじっと我慢して、ただただ9条を守る、それだけは後へはひかない、それだけでいいの。
あと100年すれば、日本国憲法は人権宣言なんかと同じように並び賞されるものになるんだから。
あ。ちょっと違う。
憲法の意味や価値を、日本国政府自身がまともに評価できていない。
だから、憲法そのものは高く賞賛されても、今の日本国政府は「その意味も価値も理解できず、何度となく貴重な条文を潰そうと画策した」と、貶められるんだろうね。
繰り返す。
日本人だったら、憲法9条を「改正」しよう、なんてみっともないことは言わないで、世界中を9条にあわせさせよう!
その使命を政府も国民も一体となって、あ、言い過ぎた「一体」はまずいよね、多様性を受け入れよう、でも政府が主導してその使命を遂行していこう!
そうすれば、少子化だって食い止められるよ。
この国の希望や誇りは、そこからしか生まれはしない。
憲法改悪したって、国民の気持ちはすさむだけ。
歴史の流れに逆らって、してはいけないことをしてしまえば、みんなわかっちゃうんだから。
みんな、後ろめたい気持ちになっちゃうんだから。
そんなふうに意識して考えていなくても、心のどこかでそのことがわかっているのが、日本国民の大半だと思う。
そうして、そのことに正確に反応して、政府が道を踏み外せば社会をすさませてしまう、それが「大衆」というものの性質。
この予言は当たります。
良いほうに進んでも、悪いほうに進んでも。
どちらに進むかは、わたし自身も含めて日本人が全体としてどの程度まともにものを考えられるか、で決まります。
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