原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年09月11日(木) 「911」に寄せて

★1・「911」「中秋の名月」「火星大接近」……
★2・月と火星
★3・信仰
★4・「119」



★1・「911」「中秋の名月」「火星大接近」……

なんか、いろんなことがいっぺんにあって、何を書いたらいいのかわからない。

「911」は、わたしも含めて割合多くの人たちの中で「風化」してしまったようにも思える。
少なくともわたしは「911」には、人から言われるまで気がつかなかった。

あ。違う。
わたしは「911」からは決してパニックをもらったりしないのだった。
冷静に「911」と向き合うことができるのだ。

「阪神大震災」とか「地下鉄サリン事件」「バスジャック」「池田小事件」などでは、思いっきり自分から頭を事件の中に突っ込んで、誰にも頼まれてもいないし当事者でもないのに、きっちりパニックやっていた。

「911」は、確かにとんでもないテロで、許すべきことではないと思う。
けれど、わたしにはどうしても「自業自得」と思えてしまったし、「一度くらい自分で痛みを味あわなければ懲りないんじゃないか」という気もしていた。

そうして、「テロ組織壊滅」のために、なぜか特定の国家を対象にして、その国から何らの攻撃を受けたわけでもなかったのに一方的に惨たらしい侵略戦争を仕掛けたブッシュと合衆国政府に、完全に幻滅してしまったのだった。
それまでは「アメリカ主導の世界平和もアリかな?」と思っていたけれど、そんなのは見通しの甘い幻想だったと気付かされたのだった。

自分が痛みを感じたときにどう反応するか、あの国は、いや、あの国「も」、こんなにもろいのか。
これじゃあ、世界平和のリーダーシップなんてとれるわけないや。

ということで、わたしはアメリカを「見限った」のだった。

今でもアメリカの侵略について肯定的な見方をしている人は多いと思うけれど、わたしは世界平和のために、ためらわずに言明する。

アメリカは明らかな侵略戦争を起こしたし、その意味では彼らがよく言う「テロ国家」「悪の枢軸」とはアメリカ自身のことだ。
何らかの言い訳をつけてアメリカの犯罪を許してはいけない。

それから……
これも、できれば目を覆って見なかったことにしたいような惨たらしい事実だが、アメリカは自分が加害者である戦争について、被害者に対して一切「戦後補償」をしたことがないのだった。
ベトナム、中南米諸国、アフガニスタン、そうして今度のイラク……
(わたしが知らないだけで、まだまだありそうだ。たいていCIAが暗躍して、戦争の相手国に都合よく「悪役」を仕立て上げ、「だからアメリカは悪くない」ということにしてしまうのだ)
アメリカの繁栄は、無責任の上に成り立っているだけだったのだ。

責任逃れのいちばん最初は、日本に投下した原爆だろう。
「戦争を早く終結させてアメリカの犠牲者を最小限に抑えるため」という口実は、今わざと「アメリカの」という一言を加えただけで、どれほど利己的で無責任な考え方か、一目瞭然だろう。
この口実のために、日本人はアメリカを適切に憎むことすらできなくなってしまった。
「共依存」(←この言葉はもう古いし不適切だと批判されているが)の日本は、アメリカのこの「悪い癖」を助長することに一役買うようになってしまった。
「わたしが味方すればこの人はもう原爆を落としたりしないだろう」=日米安全保障条約 (ああこれってDV構造だったのか)

下を向いて頭を振ってしまいたいような、耐えがたい事実だ。

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★2・月と火星

「中秋の名月」は、けっこう厚い雲の間から、半ば強引に見えていた。

けれど、大接近している火星は、雲の間のどこから見えるかすらもわからなかった。

物理的に小さなできごとは、大きなできごとの陰に隠れてしまうものだ。

だからわたしは、1日に1回しかニュースを見ないことにしている。
大きなニュースを何度も見ることで、小さな、けれども大切なニュースがわたしの感覚の中で埋もれてしまう、そういうことがないように。

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★3・信仰

日曜日にある教会に行った。
そこで、今でもどうしても納得できない一言をもらってしまった。

「あなた(=里花)は聖書の言葉が間違っている、神様が間違いをする、と言っているのだ」

これはどういうことかというと、聖書=神さまの言葉には「神さまは男を男に作り、女を女に作った」とあって、「生まれた時は男だったのに後から女になった」というのは「神さまが間違ったからだ」ということになる、という主張だ。

うまく言えないけれど、正直なところ、これにはびっくりした。

わたしは、神さまが間違いをなさるなんて思ってもいないし、聖書の言葉が間違っているとも思わない。

まだわたしの心が曇っていて、神さまの言葉がよくわかっていないだけだ。

わたしがこのように生まれ、このように育ってこのような「変化」を受けたのは、神さまの正しさを証しするためであって、決して神さまの間違いだとか聖書の間違いだとかを言い立てるためではない。
もしもそうでないのなら、わたしは今までにもう死んで消滅し、この世に存在してはいないだろう。

ただし。
聖書の言葉には何の解釈も差し挟んではいけない、言葉どおりに読むべきだ、という主張にはいささか違和感を覚えるが。
神さまの言葉だけど、受け取るのはもののよくわかっていない人間だ。
間違って読むことだって、いくらでもあるだろう。
っていうか、そういうことがなかったら、聖書さえちゃんと読めれば戦争なんて決して起きはしないだろうに。
今でもクリスチャンどうしが戦争しているケースはいっぱいある。

わたしは、日本語の聖書にまだまだ間違った訳があるのと同じくらい、英語の聖書の言い回しも信用することはできない。
もしも「英語なら正しいが日本語は間違っている」というのなら、それはイエスキリストの思いを裏切ることになると思う。
同じ理屈で「ギリシア語(またはヘブライ語)なら正しいが英語は間違っている」といわれるだけだろう。
そもそも、聖書そのものが書かれている原語そのものが多様だ。
この議論はきりがないのだ。

イエスキリストはおっしゃった。「異邦人こそが救われる」と。

ミルトン・ダイアモンド博士(ハワイ大学)の言葉を思い出す。(もしかしたらこれも聖書の引用?)

自然は多様性を愛する

「自然」を「神さま」に置き換えても、そのとおりなのではないか。
っていうか、聖書のどこかにそのように書いてあるのではないか。
(知ってる人いたら教えて!)

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★4・「119」

いや、その、わざとじゃないんですが。

たまたま、静岡市にある喫茶店「やまぼうし」(地図とかすぐに用意できてないけど)に遊びに行って、そこでライブをやらせてもらう話をしたのだった。

で、それじゃあこの日がいいかしら、ということになったのが「11月9日(日)」。
時間は「午後7時〜9時」。
「土日の早い時間帯だったらライブに行けるのに」という人が案外多い、というのも、こういうライブをやろうと思った大きな理由。

で。

そのときは気がつかなかったけど、よく見たら

「119」⇔「911」の逆さ

じゃん!

わたしは、テロや戦争ではなく平和のために、「11.9」にライブをやろうと思う。
まだぜんぜん企画も立っていないけれど、このことに気付いてから「ゼッタイやろう!」と意気込んでしまった。

皆さん、よろしくね!
(たぶん「料金は喫茶のオーダー一律500円のみ+チップイン」ということになると思います♪)

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