- 2003年02月15日(土) 『DV―……』本 フロルの選択 ぐるり、ぐるり。
★1・『DV―殴らずにはいられない男たち』
★2・アトムの命題、フロルの選択(再び)
★3・ぐるり! ぐるり!
★4・明日の錠(?)(限界設定はどうした!?>自分
これ、昨日書いたけど「8000字」をはみ出してしまったので日付を変えて書くことに(^^;
なので簡単に)
荻窪の行き帰り、表題の本を読みながら電車に揺られていた。
DVの自覚のある人、無い人。
ある人の中で、直そうとする人、居直る人(!)。
加害者が自らの「被害者性」を認めないと、加害はなくならない、ということ。
そういうことを読んで、すごく納得してしまった。
さて、私の場合は…… 「存在そのものが元パにとって脅威」?
だったら、まじで死ぬしかねーべ。
でも、もしもそうであったら、むしろ再会して何かしらの対話をするべきだろう。
お互いに、相手のことを「モンスター」とか「妖怪」とか思っていたら、
安心して生きてはいけないじゃん。
相手が死ぬまで、ひっそりと息を潜めて生きる?
そんなこと、人間である以上、してはいけないと思う。
傷が生々しいのであれば、そっとして回復を待つべき時もあるだろう。
けれど、少しずつでも落ち着いてきたら、
双方がお互いに対して「危険な存在ではない(またはなくなりつつある)」ということを
お互いに知らしめて、その上で安心して生きるほうがいいのではないか。
こんな言い方は、もしかしたら私はまだ「他人の気持ちがわからない」のだろうか。
いっそ、某掲示「坂」でも「被害者」ということだけを強調していればよかったのか。
この課題は、まだまだこれからみたい。
大変そう……
でも、決して希望はなくならない。
私は北風の冷たさではなく、太陽のあたたかい光を信じて生きたい。いつも。
(関係ないけど……ていうか、たぶん「荻窪」からの連想だと思うけれど、
後藤悦次郎(紙ふうせん)『僕らはいつも陽気でいたい』を思い出してしまった。
♪僕らはいつも 陽気でいたい
あなたと一緒に 歌っていたい♪……
なんて懐かしいんだろう……)「杏野丈掲示坂http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm」に掲載。
見る人が見ればわかるだろうし、別に誰に対する誹謗中傷とかでもないし、
まして「過剰反応」だとも思わないので堂々と明かすけれど、「cartoon watcher」は私です。
---------------------------------
[5941] アトムの命題、フロルの選択 投稿者:cartoon watcher 投稿日:2003/02/15(Sat) 13:48
ぜんぜん流れと関係ないけど、ちょっと一服しません?
☆参考図書:『教養としての<まんが・アニメ>』(大塚英志+ササキバラ・ゴウ:著、講談社現代新書)
・「アトムの命題」というのがあるそうです。(手塚治虫『鉄腕アトム』)
それは、アトム=「ロボット故に成長しない身体を持っている」という「恐ろしい欠点」を、
戦後の漫画・アニメがどのように克服し、
現実の人間が「成熟していく身体」と「和解」していくか、……
と、簡単(じゃなくてゴメン)にいえばそういう問題提起を『鉄腕アトム』という作品が持っている、というのです。
確かに、言われてみれば、男の子も女の子も、
何か「秘匿」された雰囲気のある思春期に、自らの「成熟していく身体」と向き合うことの苦悩を抱えた人は
少なくないのではないでしょうか。
・一方、上の「アトムの命題」を受けるかたちで
「フロルの選択」というのがあるのだそうです。(『11人いる!』萩尾望都)
「11人いる!」のヒロインであるフロルは、自ら「男になるか女になるか」を選択できる「種族」の出身で、最初は
「オレ、宇宙大学に合格したら男になっていいことになっているんだ」
と息巻いていたけれど(「長男以外は男になれない」という慣習があったため)、
ヒーローのタダに恋して
「オレ、おまえ(=タダ)のためなら、女になってもいいや」
と、女性になることを選択します。
私自身は「性別が選択できればよかったのに」と思いながらも、
同時に「そんなのはSFの中だけのお話」と思っていたけれど、
上述のように「長男以外は男になれない」とか「恋人ができた=それで性別を決める」とか、
あんがい「エッ、それでいいの?」と思わされる問題を秘めているのでした。
で、手塚治虫も萩尾望都も、それぞれにその問題をさまざまな作品の中で追究していきます。
私自身の中でも整理しきれていませんが、
「フロルの選択」が「アトムの命題」を受けて一つ次のステップへ移行した、というのは
やっぱりどちらも「成熟していく身体との和解」という問題、という点で共通しているからだろう、と思います。
参考図書がもう2年前に出されたもので、
あれから既に状況は変化していますけれど、
たまには2年前の本とかも引っ張り出してみると、
あんがい大きなヒントに出会ったりします。
---------------------------------
レスがつかなくてもかまわない内容なので、ほうっておいてもらえればいちばんなんだけど、
私よりも成長しない人が「過剰反応」してきたら、どうしよう……
って、アンタ(=私)、それこそほっときゃいいじゃん。
それが、ちょっと嫌な気がするかもしれないけれど、
「他人との境界線を守る」ということに他ならないんじゃない?
学習しろ>自分
成長しろ>自分昨日の「荻窪行き」は本当に有意義だった。
で、なんだか立体的に私の生きてきた道すじが見えてきたような……
ちょっとそんなことを思いながら、手術したところにスティック入れたまま
外に出た。
――うううううっ、い、いったぁい!! 痛くてたまらん!
でも、がまんしてお買い物。
そしたら。
はれれ??!!
お財布にお札が1枚も入ってない。
うわあ、またかよー。
私はお金を持たずに買い物しようとすることが多すぎる。
出かける前に懐具合ぐらい確かめておけよー(-_-;
でもしょうがないから、いったん家に戻って
車で銀行へ(もちろんスティック入れたまま……い、痛い(;_;))
カーステレオは「MDのみ」にしてあって、今は
Eva Cassidy(エヴァ・キャシディ)が入れっぱなしにしてある。
"Fields Of Gold"がかかる。
(一昨日らせん劇場に行く時からそうしてあった)
昨夜、啖呵を切って辞めた「かぐや姫」のことが思い浮かぶ。
そうだ、この歌のことを教えてくれたのは朱梨ちゃんだった……
(もっとも、彼女も今はもうかぐや姫にはいないんだけど)
いつか、チャンスがあったら、私の生演奏で踊ってもらえたらいいな……
(最近は、Evaと同じキーで、一緒に歌っている)
と、一瞬。
何か、とても不思議な感覚が私を襲った。
かぐや姫のこと、荻窪のこと、Evaのこと、らせんのこと、……
それらが一瞬、ぜんぶ一つにつながったような気がしたのだ。
もしかしたら?
今、そうやってつながった、その「ぜんぶ」というのが
「私」という意味なのでは?
その中には、昨日読んだ「DV」の本のこと=自分自身のDV体験も、
さっき引っ張り出してきた『教養としての<まんが・アニメ>』も、
私自身の「フロルの選択」も、……
「ぜんぶ」入っている。
長生きして、ぜひ朱梨ちゃんの踊りの伴奏がしたい。
「ぜんぶ」を思い返してから、そう思った。
それは、何かとても希望に満ちたことのように思えた。
ぐるり、ぐるり。
タイトルは、「ぜんぶ」が見えた瞬間の、私の感覚。「限界設定」はどこへやら。(-_-;
明日のために、その1!
早く寝る!
……ていうか、スティック入れてるとかなり「痛い」ので、
どうもそれでけっこう消耗しているようです。
スティック抜いてしまえばぜんぜん痛くもなんともないけれど、
そうすると「後が怖い」ので、家にいて静かにしている間は
できるだけスティック入れることにしました。
消耗しただけ、よく寝ないと。
もう眠い……のは、心療内科で処方された「風邪薬」のせい。
「昼食後」の分と「夕食後」の分を、
ちょっとせまい間隔で飲んでしまったから、のようだ。
★よくよく思い起こしてみると、
昨日から今日にかけて、ものすごくいろんなことをしている。
まるで「生きる時間の残りが少ない」とでも思っているみたいに。
ま、それは実は、「痛い」という感覚から来ているらしい、というのが
最近になってわかってきたけど。
★弟が、どうやら「わかほりさん」らしい、というのが
↑彼との会話でわかってきた。
なんだか、そういうところは「きょうだい」として似ているのかな、という気が。
★「写真」ができてきた。
こっちの機械(ばいおくん)では再生できないけれど、
明日くらいには公開できるかも。
皆さん、お楽しみに♪
★「公開」と「後悔」? 音だけじゃなく、表裏一体のような気もするな。
★あ、お湯浴びてない。
早く浴びて、さっさと寝よう。
★NHK-FMで「ラジオシアター」だっけ? やってる。
なかなかの内容だ。
おーい、わかったから、早くぱそのスイッチ切ってフロ入って寝ろ、っちゅーの!
ではでは(^^)/~~~