原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年02月14日(金) 「記念日」 最高のプレゼント!

(先に書くけど、私はどうやら「彼氏」にふられてしまったようだ。
っていうか、私は今日、ちょっと遠くの病院に受診しに行かなくてはならなくなってしまって、
それで「彼氏」を私がふってしまった、ということになるようだ。
(泣)

違う。
私は彼氏を「振り回して」「呆れられてしまった」のだ。
私の振舞いは、徐々にだけど恣意的になってしまった。
これも、悪い癖だ。
ああ、いやだ…… 自虐的な気分に陥りそう)


★1・自分へのヴァレンタイン
★2・最高のプレゼント
★3・お店(完全に辞めることにした)
★4・やしろ食堂



★1・自分へのヴァレンタイン

結論  煽り  忠告

これが結論。

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[5853] どうか収拾を 投稿者:あいづ 投稿日:2003/02/14(Fri) 00:02

こんばんは。
お医者さんとお芝居の稽古から帰ってきました。

☆はぐはぐさん
なんだか、私のことをよく見ていらっしゃるようで……
なんと言ったらいいか、ちょっと言葉が見つかりません。
(そこまで追われてしまうと、あなたはいったい誰? と言いたくなります)
でも、ありがとうございます。

☆他の人たちとお話してると、私もいずれ「エスカレート」していくと思うので、
一方的な宣言だけさせていただきます。

(1) 「あいづ」はこの掲示坂には出てこないことにします。
理由は下に掲げますが、
簡単に言えばこの名前を見ただけで震え上がってしまう人もいるだろう、と思うので。

(2) 「DV」に関することは、今後一切私からは発言しません。
このことの理由は、ちょっと重大です:

私は、自分が「DVの加害者だった(今でも?)」ということを、明言しています。

その一方で、この掲示坂を見ていらっしゃる人たちの中には「DV被害者だ(った)」人も
いらっしゃるに違いありません。
もしもそうであれば、その心の傷は私などにははかり知れないほどの
深み・痛みがあるに違いありません。

このため、「あいづ」という名前を見ただけで、
それを自分に対する加害者に「投影」し、とても強い不快感を持たれるのも、
無理もないことだろうと思います。

また、そのことを知ってか知らずしてか、
あえて私の「暴力性・攻撃性」を刺激するようなことを書く人がいて、
私がまんまとそれにはめられてエスカレートする発言をするようになれば
「ホラ、あいづってこんなに暴力的」
と、思う壺にはまってしまうわけです。

が、それは「被害者」である方の印象には強く残るでしょう。

何度も何度も繰り返し「あいづは他人の気持ちがわからない」と言われたのは、
もしかしたらそういう意味だったのではないでしょうか。
いえ、もしも違うとしても、私はそう解釈させていただこうと思います。

どこかで誰かが言っていたけれど、
生まれてから育っていく過程で、たとえば家庭環境などによって
「刷り込まれた性質」は、そう簡単に変えられるものではありません。
だから、私にとっては「攻撃されて怖いから自己防衛」というつもりでも、
人から見れば「あいづが暴れている」というふうにしか見えないのかもしれません。
それに「攻撃性」「暴力性」と「男・女」は関係ない、とも思います。

その上で、もう一度、私がどうとかこうとかじゃなく、
現実に「DV(または性暴力など)」の被害に遭った人たちのために、
私は今後、当事者としてはこの問題については一切語るのを自分に禁じようと思います。
私には、人を怖がらせていい気になるなんて趣味はありませんから。

まとめてもう一度言います。

これからは、「あいづ」という者が「DV(ドメスティックバイオレンス)」について語ることは一切ありません。

もしもまだ私に興味がある、という方がいらっしゃったら、私のHPにでも来てください。
誰かに言わせると「悪趣味」らしいし、確かになかなかまともに整理する気力が出なくて
とっちらかったままですが。

私の男性ホルモンの量は、女性の平均値よりも低くていつも「測定限界以下」です。
それなのに、誰かに対して故意に攻撃しようとかいう気が起きるわけはありません。

今までのことは全て、私が「自分に対して悪意がある」と思う発言に対して、
あくまで「防衛」のつもりで発言したことです。
でも、結果的に「パールハーバー」への復讐として
「原爆」を落とすようなことになってしまったかもしれません。

それで傷ついてしまった人がいらっしゃったら、それはすみませんでした。

では Adieu

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「Adieu」はフランス語で「(2度と会わない人への)さようなら」という意味。

これに対して、こんな「煽り」が:

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[5857] Re[5853]: どうか収拾を 投稿者:とおり 投稿日:2003/02/14(Fri) 01:04

わたしはあいづさんのおっしゃることは一切信用できません。

あいづさんは、いままで何回「ここにはもう書かない」と言い、
何回謝罪されました?

それなのに、このざまでしょう?

ウソばっかりついてるじゃん!!

いくら賢そうな理屈を並べても、約束一つ守れない人間は信用されません。
そして一度失った信用は、そんなに簡単に回復しないのです。

ここの読者はあなたが思うほどバカじゃないから、みんな気付いてますよ。

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これでこの人の本質が見えた。
なんて空しい人なんだろう。
(たぶん「例の人」なのだろうけれど、
どうせ隠蓑をいくつもかぶっているだろうから真相はわからない)

私だって被害者だった。
だから、被害者の気持ちがわからないはずがない。

ただ、被害者として「自己防衛」しているつもりなのに
動きが大きかったり破壊力が強かったりして、
結果的にそれが「加害」になってしまう、というパターンがあると思う。
そうなってしまっては元も子もない。
「加害」は「加害」でしかない。罰せられるしかない。

「投影の法則」という知恵のある言葉の中に
「怒られていると思った自分が怒っていた」
「気の毒と思う自分がいちばん気の毒」
というのがある。
ついでにあと一つ:「嫌いな人とは似ている」

この人は、自分の姿を私に投影して怒っているだけなのだ。

これからは、自分の名前も大切にしたいし、
自分が傷ついた心も大切にして癒してやりたいし、
そのための距離はちゃんととらないと、
何よりも自分がかわいそう。

利己的、とか言われてもいい。
それで「実害」が出なくなるのなら。

あ、ふと気が付いた。
この人、こういう言い方で私に「また出てきてほしい」と言っているんだ。

うっわー、ばっかでー。
誰があんたなんかのために、またわざわざ傷つけられに行くもんか。

悪いけど、もう遊んであげないよーーーー、だ。
(ガキの喧嘩レベル(-_-;)

と思ったら、こんなことが書かれていた。

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[5868] Re[5857][5853]: どうか収拾を 投稿者:berber 投稿日:2003/02/14(Fri) 11:18

被害者が加害者に転化することがある、という。
もちろん、全ての被害者が加害者になるわけではない。

しかし、実際に他人に危害を加えてしまったら、
それはとりもなおさず加害者でしかないのだから、罰せられるしかない。

加害者に転化してしまった被害者は、
自らの加害性を自覚して実害を作ることのないよう努力するしかないし、
もしも自分の加害性が刺激されそうだと感じたら
その場から立ち去る勇気を持たなければならない。

とにかく実害を避けること。>某東北の地名の人へ

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返す言葉がない。
(っていうか、「あいづ」の名で杏野丈掲示坂には書かない、と宣言してしまったので
ここで独り言みたいにぶつぶつ言うしかないのだ。
うぐぐ……
でも、私の名前が出ることでさえ「実害」の範疇に入ってしまうほどひどい目にあったし、
挑発に乗って「油屋の顔なし」みたいなことをやってしまったのは事実なので、
それで私に対して「怖い」とか「暴力的」「攻撃的」と感じる人も
増えてしまったと思う)

これからは、いかなる挑発にも乗らない強さを身につけたい。

神さま 私に与えてください
変えられないものを受け入れる 落ち着きを
変えられるものを変える 勇気を
そして 二つを見極める 賢さを

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★2・最高のプレゼント

(聖バレンタインの日、というのは実は「女性から男性へ」ということに
こだわるものではない、というのが本来の意味なので、
いちおうそういうものである、ということを前提として……)

チョコレート。
弟にはあげた。
ちょっと遅れたけれど、明日か明後日くらいにコンビニの店長さんにもあげるつもり。

彼氏にあげるチョコレートは、まだ机の上で悲しそうにしている……

けれど、その代わりに、私が弟から(^^;、最高のプレゼントをもらってしまった。

ある業者さんが来て、主に弟といろいろ話をしていったのだけれど
(結局はその業者さんとはトラブって、もう来ないだろうけど)
弟は私のことを

「姉です」

と紹介してくれていたのだ!

業者さん(たち)が「お姉さん」と私のことを呼ぶので、
「Fくん、私のことをなんて紹介したの?」と聞いたら、
さらっと
「そりゃ、『姉』だよ」
と言った。
「本当?」
と聞いた。
「ああ」
と、あくまでそっけない返事。

でも、すごく嬉しい気持ちが沸き起こってくるのがわかった。

私は
「ありがとう、ありがとう……」
と言いながら、涙が溢れてくるのを止めることはできなかった。

なぜか、「これで私は外の世界へ出て行くことができるんだ」という気がしてきた。
バイト、他にも探そう。(←理由は後述)

本当に嬉しい。

その後、弟と私、二人で昔からの二人の「共通キャラ」の話とか弟の仕事のこととか、
あとちょっとDVのこととか、話しては笑い転げたり共感したりした。

私「あんた、覚えてる? 私のこと『北朝鮮のスパイ』って言ったの」
弟「だから、あれはゴメンなさいって(^^;」
私「ううん、そうじゃなくて、ウケてるんだってば。時々お店で使うんだよ。
  親は同じなのに、それじゃああんたはなんなんだ、って♪」
弟「モンゴルの脱走兵」
私「そういや、あんた『朝青龍』とどっか似てるもんねー」
弟「いや、朝青龍は『ますむらひろし』の『ヒデヨシ』だよ!」
私「あーあー、そうだねー!」
……

かけがえのない家族。
弟の存在に、心から「ありがとう」と言いたい。

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★3・お店

お店、完全に辞めることにした。

だって、経営者が頭悪すぎるんだもん。
それに、私のことをばかにした。
コケにした。

私のこと「ボンボン」だって?
ボンボンはあんたでしょうに。
親のお下がりのベンツ、下手くそに乗り回して。
左ハンドルはあんたには無理だよ。

私があんたと同じ年の頃にはちゃんと所帯をもって、
私は元パと共働きで、短いキャリアでもなんとか彼女と同じくらいの収入取ろうと
がんばって、無理な「貿易商社マン」をやってたわよ。

彼女は、私がちょっと言った言葉から、聞いてもいないのに
私の両親のことをコケにした。
「あんたは甘やかされて育ったんでしょう」
それで「ボンボン」という言葉が出てきた。

確かに、私はまるで「貴族の子」のように育てられた時期があった。
でも、私が父の期待に副(そ)うような子ではないとわかると、
父の態度は途端に冷酷になった。
そうして、ことあるごとに争いあい、
和解もせずに、父は私が24歳の時に74歳で死んでしまった。
その後は「自力で生きなければ」と誓って、
少しずつ心を病みながら、東京の町で空回りし続けたのだった。

30歳になる今でもまだ親のスネかじってるような人に
自分だけでなく親までコケにされるいわれはない。

そうして。
昨夜、そういうことがあったのに、ふと気がつくと
私はへらへらしながら「ママ」にお追従笑いをしていたのだった。

私はこの人と、こういう人間関係しか作れないんだ。
この人は、自分の「手下」「子分」を確保しておきたいだけなんだ。
と気が付いた。

何よりも、けっきょくお追従してしまうような自分が情けなかった。

辛いけれど、断ち切るしかない。
私が彼女の心配をしても、なんにもなりはしない。
もう、二度と元に戻ることはないだろう。

彼女も、きっと私の言葉が聞きたくなかったんだろう。
「わかったよ、かえれ!」とか意味不明なことを言って、
むこうから電話を切った。

これで、本当に、終わり。

さーあ、大変。
お店に代わる収入源、探さないと!

(元々、無理にでも「フルタイム」で働こうと思ったのは、
2月から3月にかけて参加したいイベントがけっこう目白押しで、
その旅費とか参加費とかを稼ぎたかったのだった。
でもまあ、「悪銭身につかず」という言葉もあるし、
生活のパターンを崩して体調不良になってしまったり
だいじな手術部位のケアを怠ってしまうようになっては
あまりにも代償が大きすぎるのだった)

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★4・やしろ食堂

今日行った病院は、たまたま荻窪にあった。
実は、私は1984〜88年の約4年弱、荻窪駅北口側の「教会通り」から
ちょこっと入ったところにある、
「駅から3分なのになぜか家賃は3万円」(だってちょーボロいんだもん!)というアパートに
住んでいたのだった。

つい、懐かしくなって、教会通りを歩いた。

私が住んでいたボロアパートは、大家さんが亡くなってから取り壊され、
今では瀟洒なマンションになっている。
銭湯もなくなっていた。

やっぱ、それなりに変わっちゃうんだなあ、
だってもう15年たっちゃったからなあ、とか思いながら、
それでも通りの雰囲気はやっぱり昔のままで、
その「匂い」を楽しみながら歩いていたら……

な、なんと!
私がちょービンボー生活を送っていた頃に
いろいろとお世話になった「やしろ食堂」の看板が!
この行をクリックすると「やしろ食堂」のページに飛べます
http://www2.sshin1.net/kyokai_dori/yashiro.html


でもなー、もう15年もたっちゃったんだし、
違う人がやってるかもしれないなー、
そしたらカムアウトなんかしないで、
とりあえずちょっとおなか空いたから軽く一食して行こうかなー、と
お店に入ってみたら。

うっわーーー!!
ご主人と奥さん、そのまんまじゃん!!
お子さんにはあんまり会ったことがなかったけれど、
あの頃確か小学生だったよなー、と思ったら、
もうりっぱな青年に!
私は思わず、「以前お世話になった者ですが……」と切り出してしまっていた。
ご主人は「……あ、ああー、あのMくんか! いやー、変わっちゃったなー……
本当の女性だと思ってたよ」
奥さん「本当に、キレイになったじゃなーい」
私「お世辞でも言ってもらえると嬉しいですぅー♪」
……まあ、いいじゃん(^^; 「お店」ふうでも。

本当に、この人たちにはとってもお世話になった。
まず、お金がなくても、とりあえず300円台で朝食が食べれた。
お金がないのを見るに見かねて、バイトとして使ってくれた(時給500円+1食つき/当時)

本当に懐かしく、いろいろおしゃべりして、おいしいご飯を食べて、
私はこのお店をあとにしたのだった。

なんだか、「ミッシング・リング」が一つ見つかったような気分。
どういうことか、うまく説明できないんだけど……

まあ、なんとなくわかっていただければ(^^;

この際だから、「やしろ食堂」について、ちょっと宣伝。
ここのメニュー、本当に家庭料理ふうで、バランスがとれててヘルシー。
「安い 早い 旨い」がモットーだけど、まさにそう。
もちろん、懐石料理かなんかの繊細な「味」を求めたらそれは無理だけど、
価格と味と栄養が、とってもバランス良いのだ。

都会で寂しい一人暮らしをされている方、ぜひ一度、あの懐かしい「家庭料理の味」を、
やしろ食堂で!

……って、宣伝しすぎ?
でも、当時の私には、確かにそういうイメージだったんだもん。本当だよ。

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