- 2003年01月11日(土) なるほど。(売買春の是非について)
こんな書き込みを見つけた ほぼ同意見だ
以下転載---------------------------------
☆「合法化」→管理売春、特定の売春婦のみを囲い込み、エリート化(?) でも現実に「エリート化」なんてするはずない 売春婦が「物言えぬ」状況は続くだろう
☆「非犯罪化」→ふつーの職場で行われているような「セクハラ禁止」=(おもに)女性従業員(など)が不快感を持つようなかたちでの性的な表現を避ける + 性暴力に特に近いところにいる職種なので「業務上の健康・衛生管理」を顧客側にも遵守させる
そのためには何らかの立法措置も必要かもしれない
とにかく「日の当たる場所」に連れ出して、売春婦が不当な扱いを受けないように徹底すればするほど、甘えた男のわがままで売春婦に苦痛を強要するような状況が改善されていくのではないか
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☆売春は倫理的に見て、なんとなく「悪」と思われることが多いが、だからといって完全に殲滅することはたぶん不可能だろう 理由は私にはわからない
☆だとしたら、売春婦の社会的立場を向上させて「ものが言えない」状況を「いくらでも物申すことができる」状況に改善すれば、少なくとも今現在この国で働いている売春婦の安全が今よりも守られるようになる
☆そうすれば、性的なモラルの低い甘えん坊のわがままオヤジや、まともに性モラルについての教育を受けていない又は拒否している坊やたちが好き勝手をして売春婦を苦しめるような状況が改善していくだろう
☆よって、売春の「非犯罪化」に1票
☆昨日、20歳の青年から「性教育なんて、女子だけ集めて生理用品配って終わりだった」という話を聞いた
ということは、未だにこの国で「まともな性教育」を受けている人はごくごく僅かなのではないか
私ははるかに年長だが、その頃と何一つ変わっていない
これでは、男女ともに、より高い「性モラル」を身につける機会が持てないのも当然だ
教育の改革・充実が裏付けとして考えられなければ、「非犯罪化」は充分に意味を持つことがないだろう
☆性モラルが向上して、「売春婦なんていらない」ようになるのを目指せばいいのではないか
そうじゃなく「法律で禁止」しても、地下に潜って劣悪な環境で自分の性的能力を売ることを強いられるだけだろうし、「合法化」=「公娼制度復活」しても売春婦自身が「物言えぬ」状況は変わらないだろう
たとえば、偉い政治家の御用達にされるとか
☆とにかく、今働いている売春婦の心身の安全を守る方向に動くべきだ
それと併せて、高い性モラルをもてるような教育を施していけばいい
そういう高い性モラルを持ち、それでも敢えて「売春婦」という職業を選択する人(女性・男性・GID者・その他どんな性でも)がいれば、その選択は尊重されるべきだろう
---------------------------------以上転載
その売春婦を「買う」顧客も倫理的に許されないような状況で買うことはないのではないか
と、付け加えてみる(笑)
もうちょっと付け加えてみよう。
キリスト教圏では、実は「売春」に対してあんがい態度が甘い。
というのは、聖書に確か、こんなエピソードがあるのだ:
(うろ覚えなので間違っていたら誰か訂正してください)
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イエス・キリストがある街にさしかかると、その街の男たちがある女を取り囲んで責めていた。
イエスが聞くと、「この女は娼婦だ。多くの男をたらしこんだ」とのこと。
イエスは「罪の無い者がこの女に石を投げよ」と言った。
そしたら、誰もその女に向かって石を投げることができませんでした、とさ。
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言葉がだいぶ飲み込まれているので、ちょっと補足。
イエスが言う「罪の無い」の「罪」とは、
性的にインモラル(モラルに反した、という意味)なことをしたことがない、
という意味なのでは。
ユダヤ教〜キリスト教では「オナニー禁止」だったので
(こういうあたり、キリスト教って戦争向け、と思ってしまう;
「オナニーなんかしないで、ちゃんと女とセックスし、産めよ殖やせよ地に満ちよ。
戦争起こしてたくさん死んでも困らないように。
非キリスト教の国や民族は滅ぼして、世界中をキリスト教で支配できるように」
というニュアンスを感じるので)
そういう「罪」を犯したことのない者しか石を投げちゃいかん、ということになっていたら
石を投げることのできる男(=オナニーしたことのない男)なんて誰もいないだろう。
更に。
勝手な深読みかもしれないけれど、「罪の無い者」という言葉にはもう一つの意味が込められていて、
「この娼婦を買ったことの無い者」
ということだったのではないか。
時に男はこのような「身勝手」を振り回す。
自分では売春婦を買っておいて、それを疾しいことと思うものだから
「売春は罪だ、悪だ」と叫びたて、自分が買った売春婦の口を封じるのだ。
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現在ある「売春防止法」は、私にはとても理解しにくい内容だ。
自分で「わかりにくい、苦手だ」と思っていると、誤解・曲解しているかもしれないので、
ちょっと検索してお勉強してみよう。
Googleの検索結果:「売春防止法」
(面倒だと思わない人は、私と一緒に↑の検索先のうちから「売春防止法(本文)」というのを読んでみましょう)
うーーん……
こんな法律、ちゃんと読むのは正直言って初めてだし、
大学で「法律専攻」だったせいで(!? 人のせいにするなよ>里花)、
私は法律の条文を読むのがかなり苦手(!!)だ。
でも、どうやら、この法律は「立ちんぼ、街娼」を規制することと、
暴力団を中心とした「売春斡旋業者」を取り締まることを主旨としているらしい、
ということはわかった。
どこかで誰かが
「売る側を罰する規定はあるけれど、買う側には罰則がない」
と言っていたけれど、確かにそんな感じ。
日本が「キリスト教圏のモラル」に合わせることで
「ホラ、日本だって西洋諸国と同じようにモラルの高い国なんですよ!!」
と自己主張できるように、という意向をぷんぷん臭わせている。
このやり方は、明治維新の時に当時の政府がアジアの周辺諸地域と同じように
「植民地化」されていくのを防ぐために
「ホラ、日本には憲法も議会もありますよ!!」
というところを見せるために、大急ぎでそれらの制度を整えた、というのと
似たようなやり口だと思える。
こんな法律じゃ、売買春はなくならないだろう。
どうせがんじがらめにするのだったら、
男が「これじゃあ買春なんてしてもしょうがない」と思えるようになる、とか
売春が一種の「芸術」と同じような領域で扱われるような方向で
「規制」すればいいのに。
これが、私の考える「北風と太陽」。
規制・処罰の北風じゃなく、モラルの陽の光で「売買春」というコートを脱がせてしまおう、
「性」という旅路を一人とぼとぼと歩く、孤独な旅人……男も女も、更にその他の全ての「性」の人……に。
(って書いちゃったのでついでに書き加えるけど、
旅路が「一人きり」じゃなければ、もっといいのにね=性教育の更なる充実を!)