- 2003年01月05日(日) (こっちへ移動)中森明菜のこと 「父」のこと
★1・明菜のこと(まだ続き(^^;)
★2・父よ……
★3・Mad Hare↑これらの記事は、いったん「1月6日」に掲載したけれど、
いちおう1月5日に考えたことだったので、こちらに移動させました。
ややこしいことしてごめんなさいm(._.)m
また、↓のタイトルをつけてない言い訳っぽい記事は、1月5日の早い時間帯に書いたものです。昨日「原案帳にくどくど書く」とか言いながら、まだ書いてません。
理由は、今度は「紅白の原曲」に拘って、
TSUTAYAで何枚もCD借りてきて、それをMDに落としながら
歌詞をメモ帳に書き写して、という作業をしているからです。
他にも「Little Wing」のいろんなバージョンをゆうせんリクエストしまくったり
Eva CassidyのCDを録音したり……
ま、早い話、今もまだ「音楽三昧」なのです。
*いちおうちょっとだけご報告(っていうか、自慢話(-_-;):
「自分の演奏」は、中学生の頃の原始的な「一人多重録音」から始まって
つい最近の伽藍博物堂・Teamリッキーへの参加まで含めて
(曲そのものは重複するのもけっこうあるけれど、いちおう別テイクということで)
のべ122曲、MD(80分)×7枚目で現在に至る!!
です。
音楽やってなかった時は、明らかに抑鬱状態だった時と重なります。
なんだ、そういうことだったんだ。
簡単に考えよう。
お金になるとかそういうことはともかく、
音楽活動はずっと続ける。
決してやめない。
続けていれば、私は少しはハッピーに生きられる。
男だろうと、女だろうと。
というわけで、今年もよろしく〜〜〜(^^)/~~~明菜について、例の「とある掲示板」に書いたので、転載しときますね。
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明菜の自己評価 投稿者:じゃっきー@生還 投稿日: 1月 5日(日)10時50分11秒
三が日+昨日まで、実はずううううーーーーーーっと音楽漬けになって
ネットさえもしない、日記も書かない、そんな状態でした。
恐るべし、アディクションの力!って感じぃ(^^;
で、明菜が「自己評価低い」ように見える理由……っていうか、私の場合:
(あくまで私の推測なので、女性週刊誌程度の根拠もありません)
・家族の誰か、特に親などから「おまえはダメだ」等、否定的なことを言われて育った
・心に隠し事がある
・心から愛した人から捨てられた(←親の代わりにすがりつけると思ったのに)
という原家族の中での原体験があって。
で、彼女の歌い方と、ふだんしゃべる時の話し声には、
物凄い落差があるじゃないですか。
私、実は歌っている時のほうが本音で、
しゃべっている時のほうが「演技」なのでは? と見えたりします。
(ホントはどっちも演技なんでしょうね(-_-;)
あの歌い方は、今でも「ポスト(山口)百恵」を引きずってるのかなあ? とか。
百恵さんはみんなに祝福されて「結婚退職」できたけど、明菜は無残に「捨てられた」。
「私が演じる『ポスト百恵』は破綻してしまったんだ!!」←この痛手から、今も抜け出していない……
どっちにしても、何もない「自分」というものが、すごく希薄な感じ……
何かのかたちで「演技」していないと
「本当の自分」がばれてしまうと
誰からも見捨てられてしまう、……
そんな思いに駆られて、彼女はまた新しい「自分の姿」を身にまとい、
演技を磨く……
上述のように「オマエの演技は見透かされてるんだぞ」というのを
彼女が働いている業界で思い知らされた経験があって、
それで「それでもここにいてもいいんですか?」と自信がなくて、
それであんなに自己評価が低いのではないでしょうか。
私には、明菜は他人とは思えません。
(一度か二度、本当に会ったことあるし;
麻布の某リハーサルスタジオで、あの子はスター、私は「電話番」でしたけど……)
その時に「ああ、この子はものすごく変わった子だなあ」
と思ったのが、今でも強い印象として残っています。
で、その「変わった子」というのは、私の自己イメージにもつながります。
変わった子で、素顔を見せると誰にも相手をしてもらえない。
だから、どんどん演技を磨く。
(私の場合、それは「音楽」です。
音楽やってる限り、私は「男のフリ」だってできるし、
だいいち演奏中に「男」も「女」もないでしょう?)
……なんかものすごくとりとめなくなってしまったけれど、
紅白で久しぶりに彼女を見て
(そのちょっと前にラジオで彼女のおしゃべりを聞いて
「あ、この子、まだこんなに自己評価低いのか」と
ちょっとショックだった)
その思いに駆られて、こんなこと書いています。上で転載した掲示板に、こんなことも書きました:
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>よく「母親は娘を手足の延長のように感じる」というけれど
やっぱり、母親にとって「自分の体から出てきた(≒自分の体の一部)」という感覚が
どうしても捨てきれないのでしょうか。
子どもが生まれてからも、夫から愛され、サポートされている状態が保てれば
割とスムーズに「子離れ」できるのかなあ、なんて気がします。
(うちは過去の話ですが、父親まで「子離れ」できない人だったので、
まるで父と母の間で引っ張りっこされてるみたいでした。
母だけじゃなく、父までが「妻よりも子を愛す」みたいな態度で、
思うとおりにならないと、母に対して「おまえのせいだ」と叱りつけるのです。
で、二人からべたべた干渉されてるうちに、私は自分自身というものが
どっかに行ってしまったのでした……
お正月からすごい不謹慎な言い方ですけれど、
二人とも死んでくれて、ようやく
「二人は天国で仲良くしてるんだ」
と思えるようになり、そこから私は「ほんとうの自分」、
それはたぶん「女」もしくは「男でも女でもない」そういうありのままの自分に
なれるような気がしてきました)
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(>「男でも女でもない」
という書き方をしたけれど、
もしかしたら逆に「男でも女でもある」というのが「本音」かもしれません)
更に、こんな自己レスしました。
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また自己レス(多重投稿ごめんなさい) 投稿者:じゃっきー@…… 投稿日: 1月 5日(日)11時55分35秒
>子どもが生まれてからも、夫から愛され、サポートされている状態が保てれば
>割とスムーズに「子離れ」できるのかなあ、なんて気がします。
サルの社会を見てると、まじでそんな気がします。
主に大人のオスが「子殺し」をする種がいくつかあるけれど、
それってある意味「母子の癒着を断ち切る」ということの
ものすごく残酷ではっきりした現れかも、と思います。
というのは、大人のオスが子育て中のメスと交尾したいと思った時、
そのメスが育てている子どもを殺してしまうと
メスは再び発情するので、オスはそのメスと交尾できるのです。
私は、「残酷」と書いたけれど、それを必ずしも「悪いこと」のようには思いません。
それはその種にとって、種の保存を保つための「最良の選択」なのでしょう。
たまたま人間の価値観と違うからと言って、サルをせめてもしょうがないもん。
ただ、人間が同じことをやっていいとは思えないし、
だったら頭とか言葉とか、人間に固有の能力を駆使して
「オスが母子の癒着を断ち切る」ことを成し遂げてほしい、と思うのです。
世の父親よ、自分の妻を子よりも愛せ!
子は父と母が仲良くしている姿を見せ付けられるのが
いちばん自己の存在を肯定できる基盤となるのだ。
だって「自分は父と母の愛の結果だ」ということを、
(神さまによってなのか本能的になのかわからないけれど)
わかっているから。
愛し合っていない両親を見たら、自分の存在はどんどん希薄になっていく。
それがたとえ、両親がそろって競うように「子」である自分への「愛情」を
注ごうとしていても。
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From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp
Sent: Sunday, January 05, 2003 8:00 PM
Subject: 原案帳:Am I A Mad Hare?
ルイス・キャロルに出て来る「気違いウサギ」みたいに、
音楽に凝ったりいろんな人に会ったり、とんでもないほど動き回っている私。
ホントは彼の胸の中で「眠り姫」やっていたいのに。
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