原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年12月07日(土) クラインフェルター症候群(KS)の性自認

★1・クラインフェルター症候群(KS)の性自認について
★2・「主夫」



★1・クラインフェルター症候群(KS)の性自認について

杏野丈ホームページhttp://www.harikatsu.com/の掲示板に、こんなことを書いた。

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[2342] 男〜女、それ以外 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/07(Sat) 11:09

みなさん、こんにちは。
(酔い醒めの起き抜けですけど、思いついたこと)

「性別を超越する」か「男女の垣根を越境する」か、ということと関連して(いると思う……)
半陰陽(IS)の当事者の感覚について。

私はクラインフェルター症候群(KS)の人たちと何人か交流させてもらっているのですが、
この人たちの中に「性自認が男でも女でもない」という表現をされる方が多いです。

こういう表現は、一見蔦森氏などの言っているニュアンスの
「既成の性別概念を超えた」
という、3次元的な言い方のように聞こえるかもしれないけれど、

私が聞いた限りでは、現実のニュアンスは
「男〜女」という2次元的な軸の中で
「男女のどちら側でもない」
というものでした。

KS当事者は、「XXY(XXXY、XXXXY、……)」という染色体をもっていて
「Y」があるため男性器が形成され、その結果医学上は「男性」と識別されます。
ていうか、生まれた時は「XY」の正常男子と形状は全く同じです。

ところが、過剰な「X」が「邪魔をして(?)」、男性としての第二次性徴の発現が
かなり強く抑圧されるのです。

その結果なのかどうかわからないけれど、私にはKSの人たちの中に
「まだ男でも女でもない」
という性自認の持ち方をしている人がいるように見えます。

また、強いて「オレは男だ」と自覚している人も、
内面から沸きあがってくる自覚よりは、
むしろ学習してそう「思い込んでいる」というふうに見えます。

その意味では、KSは、少なくとも「性自認」という点では
「男性の性分化異常」というよりも
そもそも「中性」なのではないか、という気がするのです。

性同一性障害の発現機序についてはまだ定説がない状態のようですけれど、
先天的な要素が何かあったとしても、後天的な「引き金を引く」何かがないと
発現しないのではないか、と
KSの人たちの性自認のあり方と見比べていて感じます。

今の流れから若干逸脱するようですが、もしも議論のお役に立てるのであれば
ありがたいことだ、と思います。

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私にとって、私自身の性自認を解き明かすのにKSの人たちの存在は多くのヒントを与えてくれるし、
性同一性障害全般の機序を解明するのにも、とても有意義な比較だと思う。

ただ、当事者の気持ちを考えないで無闇と「比較」するのはだめだ。
かつて、私がまだ自分のことについてもろくろく理解できていなかった頃、
まるで「遊び」のようにいろんな「性」を比較していたけれど、
比較される立場になると「弄ばれるのは嫌だ」と感じる。

私が今行っている「比較」が、KS当事者にとってお遊びのように映らないことを願う。
あ。
始めのほうの1行
>半陰陽(IS)の当事者の感覚について。
というのは、余計だった。
KSはKSであり、広い意味では「半陰陽」と混同されやすいけれど、
厳密には違う(のかもしれない)。

っていうか、私は「性分化異常」の当事者については、KS以外ほとんど知らないのだ。
知らないことまで迂闊に書くことが「お遊び」として謗りを受けることになるのだ。

訂正しておこっと。

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★2・「主夫」

某掲示板への投稿。

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>育児参加は男性にとっても、心の豊かさをもたらすのではと感じた次第です。

1999年11月下旬、とうとうキレてしまって
気付いた時には東京へ向かう国道1号線(なぜか東名高速ではなかった)を闇雲に走っていて
授業を「無断欠席」して台無しにして、
予備校をクビになって。

とりあえず元パは順調に(って言ったら申し訳ないけど、とりあえず破綻はしてなかった)看護師として勤めを続け、
私は1日中家にいて、当時小学校1年生だった子どもをバス停まで送り迎えに行ったり、
遊んであげたりしていた期間が、確かほんの2週間くらいだけだったけれど、ありました。

うちの子が、なぜだかしょっちゅう友だちをつれて家に帰ってくるんですよ。
(通ってる学校がいわゆる「お受験校」だったので、お友だちは本当は他の路線で帰ることになってるはずなんだけど、
うちの子がわざわざ連れてくるのでした)

子どもたちと一緒に遊んだあの日々は、
私が「男になるんだ!」を始めてそれが終焉するまでの中で、
最高の思い出になりました。
子どもたちに対して、心からやさしくなることのできる自分を発見して、
ほんの僅かだったけれど、「こういう自分を認めてやっていい」と思いました。

うちの子、Uくんに、お礼を言いたいです。(会えないから言えないけどさっ)

私は「女でしかも父親」だけど、そうであることは
精一杯虚勢を張ってでも「男になろう」と努力したことの、
数少ない「成果」だったと思うし、
そういう道筋を辿って生きてきた自分を
(ものすごい遠回りをしてものすごく多くの人たちをものすごく傷つけてしまった、
ということを差し引いても)
誉めてやりたい……と、

思えたらいいなあ。←けっきょくこのくらいかよ(^^;

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