原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年10月03日(木) たちの悪いお遊び 中途半端な知

★1・あまり良くない「お遊び」
★2・「中途半端な知」



★1・あまり良くない「お遊び」

性別について、ちょっとたちの悪いお遊び。
(私はこれに近いことを、中学〜つい数年前まで、ずうっとやっていました。
しかも「オカズ」として)

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XX:女性
XXX:女性(X染色体内にある遺伝子のぶつかり方によっては身体障害になることもある)
XXXX:女性(同上)
XO:ターナー症候群
OO:生まれない……
YO:生まれない
YY:生まれない
XY:男性
XXY:クラインフェルター症候群
XXXY:クラインフェルター症候群
(XXXXY:クラインフェルター症候群、というのもある)
XYY:?(私は知らない)

X染色体には、性以外にも人間として生きていく上で
不可欠な遺伝子がたくさん入っていて、
それが一つもない個体は生まれることができない。
でも、過剰な分には、致命的ではない。

一方、Y染色体は、少なくとも生きていくのには「必須」ではない。

なぜ私は、少なくとも「XY」を持って生まれてきたんだろう……?
(子どもをもうけることができたので、たぶんXY一組だけで、
それ以上にはないと思う)


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それにしても。
現実に生きている性染色体異常の人を全く知らなかったからといって、
こんなことばっかり想像するなんて、
なんと罪深いことだっただろう。

キェルケゴールは言った。
「絶望には3段階がある。
1、絶望的な無知。人間は絶望的な存在である、ということすら自覚していない。
2、絶望して自己自身ではなくなろうとすること。徹底的な自己否定。
3、絶望して徹底的に自己自身であろうとすること。」


少なくとも、ほんの数年前までの私は、ある面でキェルケゴールの「1」だったんだ、と思う。

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★2・「中途半端な知」

ところで、
知は力なり
という言葉があるけれど、
中途半端な知は暴力なり
というのも、言えるのでは?
少なくとも↑の記事に書いてるようなことは。

私は紙の上では「クラインフェルター(KS)」も「ターナー」も「精巣女性化症候群(AIS)」も知っていたけど、
現実に生きるそれらの「当事者」の気持ちについては、
ほとんど考えたことがなかった。
「自分がそうだったら良かったのに」
だけだった。

幼稚だったと思う。
けれど、そういう認識を、本当の当事者にぶつけたら、
「気味が悪い」と思われてしまったことがあった。
(4年くらい前だけど……(-_-;)

今は、だいじょうぶなのだろうか。


ついでに言うと、つい先日までは
「知は力なり、無知は暴力なり」
とも言っていた。
でも、「無知=暴力」かどうか、今はわからない。
あることの知、または認識を「完全に持っている」のなら
それは有効な力になるけれど、
中途半端に持っているとむしろ「力」の制御ができずに
「暴力」になってしまうことが、あるのかもしれない。

「完全な知」を持つのは、神様だけ。
少なくとも、人間には無理だ。

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