- 2002年06月21日(金) 忙しい 中島みゆきとかカンディンスキーとか。
あー忙し。
お店のメンバーがけっこう入れ替わったりして、
ふと気がつけば元のままで使えるのは3分の1ほどに(-_-;
オープニングとエンディングまで含めて、昨夜作り直していたのでした。
その前はお芝居の稽古。
私はなんだか、「お金にならないことならせいせいできる」みたい。
っていうか、そんなの誰でも同じで、
「お金をもらってすること」に「責任」が伴う、ということを
私がちっとも理解できていないだけのこと、と思う。
(↑ここまで書けばわかっていそうなものを、と思われるかもしれないけれど、
「他人事」のようにしか考えられない……)
人並みに自分の責任で行おうとしたことは、
たぶん全て摘み取られてしまった。
そんなの、誰のせいにしても仕方ないんだけど。
ところで。
ちょっとびっくりしたのは、
あるところで「横レス」と言って話し掛けてきたことに対して
返事ができないでいたら
「不愉快だ」と言われた、ということ。
横レスなのに返事しないのが悪い、なんて常識、聞いたことない。
たぶん、それを言った人はオンラインに慣れていないのだろう。
オンラインコミュニケイションなんて、しょせんはすれ違いの積み重ね。
そのくらいの距離は守りながらでないと、
うっとうしくてしかたない。たぶん、お互いに。
相手の顔は決してディスプレイのすぐ向うにあるわけじゃないのに。
ただ。
怖いのは、私のあずかり知らない「数の論理」が幅を利かせてしまうかもしれない、
ということだ。
どういうことかというと、
少人数の集団(ここでは掲示板のメンバー)の中で、
なんとなく「悪者扱い」されている人が
少しぐらいひどい言い方をされていても
他のメンバーは多数派=正しい、ということにして
ひどいことを言っているほうについてしまう、ということ。
はっきり言って、そういう「付和雷同」タイプの人たちとは
あまり一緒にいたくない。
だって、たぶん私も似たような振舞いをするだろうけれど、
人に「支配」されている自分を見ているのは、
「とても不愉快」なので。
私が数日間、そのページに行けない事情があった、などということは
(いちいち説明するととても長ったらしいし、しかもたいした理由じゃないし)
相手方からは何の考慮もされない。
私だって、対話する相手のオフラインのことなんて、
わかるわけがない(わかってしまったら、それは超能力者かストーカー)。
その程度の「不正確さ」を許容できる生き方が、
ネットを使う人には求められるのでは。
忙しいのに。
疲れる。若い頃の中島みゆきの歌がNHK-FM(っていうか『ラジオ深夜便』)でかかっている。
うわー、懐かしい。
技術的にはちょっとかけ離れている感じもするけれど、
中島みゆきの歌い方、どことなく元ちとせに似ている。
前にもちらっと書いたかもしれないけれど、
元ちとせの歌い方は「島唄」でありながら「演歌」みたいに聞こえる部分もあり、
しかもセンスの良いJ-POPの味もあって
とても幅広いものを持っていると思う。
これは、なんというか……「アジアの中の日本の歌」っていう感じ、かな。
陳腐な言い方だけど。
技術的な完成度という点で中島みゆきよりも元ちとせのほうが高いので、
ついつい「中島→元に似てる」と書いてしまったけれど、
みゆきさんの歌い方にも、独特な味がある。
とりあえず、懐かしいなあー、と。
(その後ロシアの画家「カンディンスキー」のことをなんだかあれこれ説明してる。
「抽象画の先駆者」とよく言われるけれど、私はカンディンスキーの「音楽性」が好き。
絵画なのに、その画面からは強い「音楽性」を感じてしまうのだった)そういえば、ことの起こりは妙な里心を起こしてしまったことだった。
だからこそ、ともに歩む「友」が必要なわけで。
弘兼兼司『黄昏流星群』の、62歳と63歳の女性二人の恋愛を読んでみて、
私もけっきょく、一人なんだなあ、と思ってしまった。
しょせん、元パとは10年の仲でしかなかったんだなあ。
私のほうから離れたのに。
そのくせ再びコミュニケイトを復帰しようなんて、
甘すぎた。
今夜も無駄に酒飲んでるし。私。
(仕事以外で飲むのは、友人から誘われた時だけって決めてたはずなのに;
だって一人で飲んでも面白くないもん。だいいち、飲めないし)
明日はショウタイム、初日だ。
サンバステップが辛うじてできるようになった。ヨカッタヨカッタ。ほっ。
お芝居のほうも、何度も繰り返し出てくるセリフについて、
ちょっとずつだけど練習している。
えらいぞ、私。
言わせておいてね。