- 2002年06月06日(木) 「音楽」は笑うことと同じ
★1・「音楽」は笑うことと同じ昨日……いや、一昨日から。
気が付いたら、音楽を聴いていなかった。
だから、今朝、NHK−FMをつけた。
何日も笑わずに過ごすのは、とても不健康だと思う。
もちろん、「笑いたい」というのと別の感情に支配されてしまうような
何か辛いこととか悲しいできごと、あるいは許せないような目に遭った、とか
そういうことがあれば、
しばらく(って数日〜1週間ぐらい?それ以上は危険だ)は
笑うことができなくなってしまうこともあるだろう。
でも、それはそれで、そういう感情が何かしらの「表情」になっているだろう。
泣くこともいいかもしれない。
私が危険だ、と思うのは、
笑うことをしないで何日も過ごしたり、
泣くこともできずに何週間も過ごしたりすることで
それらの感情表現をちゃんとすればそれなりに発散されるストレスを
体の中にため込んでしまうのではないか、と危惧するからだ。
私には、かなり多量の「笑い」が必要らしい。
実際、抱えている問題に直面していないときは……っていうかちょっとでも余裕があれば……
私はとてもよく笑う。
でも、人のいないところで一人きりで笑うのは、
ちょっと空しい気がする。
それで、そういうときは、とにかく音楽を聴く。
一人きりでいて、聞こえるところで音楽がかかっていないときなんて
ほとんどないくらい。
たぶん、それはいささか極端な習慣なんだろう。
(みなさんはどうですか?)
ところが。
今週に入って、確かコンビニのバイトから帰宅して、……
先週末の疲れもあって塾のほうに出かけられなくなって眠ってしまってから
今朝まで、
私は全く音楽を聞いていなかったのだ。
たぶん、60時間くらい、音楽を聞かずに過ごしただろう。
これは危険だ。
人は、適度に日光を浴びないと、ビタミンKだったっけ?そういうのが不足して
「くる病」というのになってしまう、と昔の医学事典に書いてあった。
私にとって、「笑う」こと、さもなければ「音楽を浴びる」こと、
そのどちらかがないと
とても不健康な状態になってしまう。
あ、そういえば。
いちおう、一昨日も昨日も、Fくんが帰ってきて、
サッカーの試合を見ながらごはんを食べ、それなりに笑ったりしたっけ。
でも、贅沢かもしれないけれど、
それ以外に、たとえば一人になっているときに音楽を聴く、ということは
なかった。
私は立ち直れなかった。
今、FMをかけている。
4月から番組編成が変わって、深夜にやっているはずの番組の「再放送」を
こんな時間(9:41 02/06/06)にやっていて、
ちょっと「昼行灯(ひるあんどん)」みたいで、馴染めてない。
けれど、かかる曲がリラックスできるものばかりなので、
まあ、いいか。
自分で書いてて「なんだか贅沢」と思う、やっぱり。
でも、私にとって、音楽は、
息をしたり眠ったり食べたり、笑ったり、というようなことと同じ
「一時的欲求」なのだ。
私は2日半、「息をしていなかった」のだ、と感じている。
大げさかもしれないけれど、それが「私」だ。