原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年05月05日(日) 最終日……楽しみきった!!

「最終日……楽しみきった!!」というより、もしかしたら
「底をついた」
という感じかもしれない。

取り急ぎ、メモメモ。

朝、泊めてくれたご夫婦・ckbnnprnさん(←なんちー略し方!?)のお宅から東京駅へ。
 素敵な二人。
 なんだかとっても羨ましい感じもする。
 (そりゃ、私から見えない、大変なこともいっぱいあるだろうけど……)
 幸せ少し、おすそわけ。

東京駅でFくんと合流、その場でckbnnprnさんとFくんを引き合わせる。
 そうしてお二人に別れを告げ、今度はFくんにばいおくんを連れてってもらって、
 都内(もっと言うと山の手線内)にある教会へ。
 母の所属していた教会。

昨年、母が亡くなった後の納骨と、この「5月最初の礼拝(=共同墓地の墓前礼拝がある)」に
参加させてもらっていた。
そのときもそうだったのだけれど、
私はその教会では最初から「女性」として遇されている。
私はこれこそ神さまが正しく示されようとしていることだと思う。
もしも誰かがこの記事を読んで、(たまたまそれがどこなのかを知って)その教会に密告し、
それが元で私に対する扱い方が問題になるとしても、
私はそのことにしっかり向き合って、解決していきたい。

あるところで誤解されてしまって、私自身もとても傷ついたのだけれど、
確かに誤解されやすい言い方しかできないので仕方ないこと。

神さまは、ある時代の人間にはその時代にわかることしか教えてはくれない。
2000年前に核兵器の作り方は教えてくださらなかった。
当たり前だ。
そんなことをしてしまっても混乱しないでいられるほど、
人間は賢くないのだ。

神さまから見ればサルとの違いなんてほとんど「誤差範囲」でしかないような、
私たち人間の知性を正確に読み取られ、
神さまの壮大なご計画の中では一瞬のあぶくほどでしかない
私たち人類の過ごす期間をこと細かに区別され、
「これこれのことはいつごろ発見されるか」
というようなことを、まさに髪の毛一本程度のことまで全て定められたこと。

そういう中で、
「この世には男と女しかいない(しかも時代によっては女性は男性に従うべし、
というようなことまで聖書の記述者たちに書かせて)」
と思い込ませるようなことを示されているのは、
「二つより多いと混乱してわけがわからなくなる」
程度の人間の知性を神さまが慮ってのことなのだ。

「男と女だけ、しかも男と女の組合せしかありえない(破ることは死に値する罪)」
とまでがんじがらめにされたのは、
二項対立的にしかものごとを考えられない人間の知的脆弱さに対して
とても優しい気持ちでそれを回避させてくれるためだったのだ。

ひとり子イエス様を遣わされてから2000年、
人類はようやく「男と女だけ」という単純な発想でなくても
「性」ということがらを捉えられるようになってきた。
だから、「いちばん多い=全て」という、これもまた幼稚としか言いようのない決め付けを離れて
「両極端の間の多様な個性」にも目を向ける余裕を、
神さまは私たち人類にお与えくださったのだ。

実は、私が「女性」としてその教会に受け入れられるに至る経過には、
偶然の「間違い」のようなことも含まれている。
現実の教会は、まだまだ私も含む「異邦人」を素直に受け入れられるほど
賢くなってはいないようだ。

でも、そのように受け入れてしまったことを、
教会自らが受け入れなくてはならない。

そうして、それは、正しいことなのだ。

(はっ、「メモ」のつもりがすっかり長くなっている)

東京都下にある霊園の共同墓地へ、
 本当は午後2時から「墓前礼拝」の予定だったのだけれど、
 それでは間に合わなくなってしまうから、ということで
 一足お先に「お墓参り」させてもらいに行った。
 もちろん、Fくんと一緒。

 ちょっと暑いくらいのお天気。
 神さまが「もうそろそろ、健康的に日焼けしたらどう?」とすすめてくれてるみたい。
 墓碑の横には大きな欅(けやき)の木。
 大きな弧を描いて墓碑の上に張り出す枝と墓碑の間に、空が見える。

 私はその空に「天国への扉(?それとも窓?)」を見るような気がする。
 窓辺には私とFくんのお父さんとお母さんがいる。
 二人は穏やかに、幸せそうに笑っている。

 なんだか、私もこのお墓に入りたい、と思うようになってしまった。
 もちろん、生きられるだけ生きてから、ね。

 墓参が終わってから、霊園の中で私とFくんと二人、
 霊園の前にあるコンビニで買ったおにぎりをぱくついて
 ちょっと少なめなお昼を食べた。
 「こんなふうに過ごすのは久しぶりだな」とFくん。
 私はそれに「何年くらい前から?」と
 ニュアンスとしては彼自身のこと、として聞いてしまって、
 言葉では聞くことができなかったけれど、
 私にはFくんが「アヌキ」(←ちょっとイヤな響きだけど、
 Fくんが私をどうしても呼ばなければならない時の言い方;
 「アニキ」と「アネキ」の間だそうで(-_-; ……ま、負けた)である私と
 こうして公園で気持ちの良い風を浴びながらおにぎりを食べることを
 「(たぶん、ものすごく)久しぶりのこと」として
 楽しんでいたのだ。
 それは、私も同じ気持ちだった。
 至福のひとときだった。死ぬまで忘れたくない思い出。
 できれば、私が死んでからも誰かに語りついでもらいたいほどの、幸せな思い出。

ハプニング!
 痛い足と重たい荷物(だって、墓地にもベースとばいおくん、持っていくしかなかったし)を抱えたまま
 ようやく東京駅に到着、新幹線に乗り込んだら、
 帰ってから地元で一緒に演劇を見る人たちのうちの一人であるみねみねくんが
 同じ列車に乗っていたのだった(^^;

 彼からメールが来て「今乗りました」だって!!
 私は彼のタイトルの「Re:」のあとに「え!?」と付け加えて返信した。
 静岡駅で合流。

演劇を見ました。=らせん劇場『例えばシンデレラとか?』
 総勢8人、そのうち4名がGID当事者!

 お芝居は、「シンデレラ」のお話を軸に、いろんなお話をmixさせたような内容だった。
 ある意味、かなりエンタテインメントだったと思う。
 すっごく楽しかった!!

 それにしても、いろんなお付き合いの人が来てくれて、
 ある意味「Mix」な状況が楽しめた。
 ていうか、ホントに、楽しかった!!

 打ち上げにも参加させてもらった。
 8人ぜんぶじゃなかったけれど、半分の4人が残った。
 (差し入れ忘れちゃったくせに最後まで居残った、っていうか居座った、っていうか(-_-;)

そうして、私の家までみんなで来て、
 1時間半も語り合っただろうか。
 そんなことをこの家でできるなんて、思っていなかった私は、
 ちょっとどきどきしながら、ほとんどおもてなしなんてこともできなかったけれど
 みんなとお話したのだった。

明日はコンビニでバイトだというのに。それも「8時間」。

でも、一生の間に、これだけ密度の濃い、内容も豊かに「多様性のある」ものになった、
それを喜びたい、と思った。
今でもまだ、思っている。


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