原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年03月30日(土) 雨と共に散りぬ

★1・雨と共に散りぬ

★1・雨と共に散りぬ

なあんて、気取ったタイトルつけちゃった。

  


   雨桜
   濡れてしおれて
   雨宿り。

(ううっ、だめだ、どーしても演歌っぽくなっちまうわ!!
そういえば、学生時代に初めて歌詞つきで作った曲は
演歌だった……)↓それの歌詞

八方美人
詞・曲:やき。

前を見てみりゃ 行き止まり
後ろを振り向きゃ 崖っぷち
どうせ左右も ないものと
上に飛び出しゃ 八方美人
飛んだつもりが 穴の中  ~♪ちゃん!

これ作ったの、大学1年生でっせ。
それがなんでこんな、半ば悟ったような歌を……




気付き。
私は自分の意思で選んだわけじゃない大学に入った。
そのとき、私は本当は「希望を持たない人」に
なってしまったのだった。

それでも、そのことが見えないようにと、
「明るく平和で健康的な歌」を歌う人たちに
まぜてもらったのです。

今思い返すとちゃちな欺瞞だけど、
あの頃はそのくらいしか思いつかなかったから
あれはあれでよかったと思っています。
それに、そこに参加することで
「もしかしたら自分にも生きる価値はあるのかも」
と思えるようになったんだから。

(でも、その後約10年たって寿退社して結婚するときに、
私はそのことからもはじき出されてしまったのでした……
党はやめさせられるし、元パの父親からは脅されるし。
それにしても、元パは自分の父親が「バリバリ右翼、自衛隊大好き」なのに
左翼っぽい私なんかと結婚することにしたんだろう……?)


私って(まあ見ててわかるでしょうけど)すごくわがままなくせに、
自分が本当に希望することって主張できたことが
ほとんどないのでした。

自分の気持ちを少しでも充足させようと思ったら、
私にできるいちばんのわがまま……性転換してしまうこと……
それが真っ先に思い浮かびました。

もしも私が最初から女の子で生まれていたら。
そのときにはきっと、
「なんで私は女の子に生まれちゃったの?
お母さんもお姉ちゃんも相手にしてくれないよぉ。
お父さん、優しいときもあるけど、
何考えてるのかわからないよぉ。……
(それからしばらくして、
たぶん『男になりたい!』とか言い出していたでしょう)」
と思っていたのでしょうね。

抽象的な存在でしかなかった父
(だって言葉や文化がすごく違うんだもん)
自分の傷をどうにかすることで精一杯だった母
(祖父=母の父は自殺しちゃったし、父=夫はDVアリアリの明治男だったし)
「ママコ」なのによくめんどうを見てくれた姉
(でもしょせんは腹違い、っていうか当たり前なんだけど
東京に行ってしまって知らない男の人のお嫁さんになっちゃうんだもん)

私が理解されなかったように、
私にとっても感覚的に理解できる人たちではありませんでした。

……甘えさせてよぉ!
↑これを「大人(?)の男言葉」になおすと、
ジャイアンにぴったりかも?
「おれによこせ!」

うおっ、ぴったり。

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