原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年03月27日(水) 家族問題のぐりいふわあく 仕事 認知 金八掲示板

★1・家族問題のぐりいふわあく
★2・仕事「論(?)」
★3・認知の歪み(また)
★4・「金八先生」掲示板

★1・家族問題のぐりいふわあく

なぜかとある掲示板に書き込むのが先になっちゃった。
なんか、誰かとの人間関係の中で、
ふいに気付いてしまったのだった。


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昨日は、元パの誕生日だったりして。
どうせ聞こえないだろうし、また電話したりして
あちらの家庭に
(もしかしたらがんじがらめに固まっているかもしれないけど)
波風立てる気もしないので、
ここでこっそり。

Nさん、お誕生日おめでとう。
この1年、よく生き抜きましたね。
資格もとったと聞いたし、
あなたがいつも前向きであろうとする姿勢、
私は尊敬しています。
どうか、無理をしすぎないで、
Uくんと仲良く育ちっこしてください。
私がいない分、経済的・精神的負担は大きいかもしれないけど
いつまでもそのままでいるあなたではないこと、
私は信じています。
(先日、あなたの小さい頃の写真も返したし。
気が付かなかったとは言え、
あなたのアイデンティティを脅かすようなことになっていたのは
本当に申し訳ないと思っています)

この言葉が、大きな空に放たれて
いつかあなたのもとへ届きますように。

あやか、またはあなたの元々の呼び方「やき」より

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少しでも経済的に支援してあげることができれば。
(たぶん、元パは今、自分ひとりの収入で家族4人を養おうとしている。
そりゃ「能力があるからできる」とか、以前の私なら言ってしまうところだけど、
できるできないじゃなくて、それがどんなに大変なことか、
それは少しはわかる。……っていうか、私もやろうとしたから。できなかったけど)

(次の記事に続く……)

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★2・仕事「論(?)」

(前の記事からの続き)
……

なんとかしたい。←って、ここで止まってしまっているのは自分でもわかるし、
それが何か大きなトラウマか何かのせいで
考えられなくなっているらしい、ということもわかるのだけど、
私はちょうど出勤できなくなった日に指一本動かすのが至難の業だったように
じゃあどんな「就職活動」(?なぜ「(企業とかに)就職」ということなのか、不明)
をすればいいか、とか、わかりそうなのに
ぜんぜんわからない。

「逃げ」「考えようとしないからだ」

……まあ、「まともな人」はいくらでも私のこと、
詰ればいいじゃん。
そうすることで私が「立ち直れる」のなら、
いくらでも話を聞かせてもらいたい。

でも、私はそういうことを言う人から「脅かされた」記憶しかない。
仕事してお金をもらって生活を成立させるのは
人間がここ100年(or 1000年? でもどっちにしても短い期間だ)くらい生きていくための
基本スタイルとしていることだけど、
それが「(企業などの組織への)就職」だという常識は、
もう私にとって「過去の忌まわしい体験」でしかなくなってしまっているのだ。

ぶっちゃけて言っちゃうと、
「今さらそんな馬鹿なこと、したくない。
身を滅ぼすだけだから」
と、正直にそう思ってしまうのだ。
体が嫌がっている。怖がっている。

以前の私だったら、
「おまえは『男』なんだから、しっかりしろ!
体が竦むのは意気地がないからだ!
(決して避けたり逃げたりするのは良いことではない)」
などと思っていたけれど、
今の私は避けること、逃げることが正しい、ということを
体で知ってしまっている。
仕事嗜癖で感性がメチャクチャになっている人たちの間に巻き込まれて
自分を壊したくはない。

でも。
そうすると。

私はどういうかたちで「仕事」をして「お金」をもらって
自分の生活を自立的に成り立たせていくのか。


純粋に「人の役に立つ」ではいけないのか。
もちろん、「人の役に立つ」と言ったって、
そんなことは幻想か妄想でしかない、ということ、
それはわかっている。
何をやろうと、所詮人の営為は全て「自己満足」でしかない。
(「自己満足」という言葉を否定的に排除する人が多いけど、ちょっと「(笑)」……
そういう人が「自己満足ではない」とする価値観の基底には、
けっきょくより深くて大きいだけの「自己満足」が横たわっているだけなのに……)

ま、いいか。
人が「満足」したような気持ちにさせるような、何か。
それさえできれば、そうして、そのことに
「お金を払ってもいい」
とまで思わせるほどの、レベルの高い「満足」となるような、何か。

それができれば、いい。
それ以外のことは、したくない。

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★3・認知の歪み(また)

そうか。
仕事について、くどくどとわかりにくい書き方をしているな、私。

最近わりとわかってきたことなんだけど、
わかりにくい書き方でくどくど書くのは
「認知の歪(ゆが)み」があるからだ。

よく目にする「男のわけわかんないリクツ」は、
こういうのが多い。

たとえば「性欲」ということを肯定するのに、
5000字くらいかけたりするのではないか。

まあ、それで「文化」が成立しているところもあるのだろうし、
それがある人々(たとえば同じように「性欲」について言い訳したい人、とか)にとっては
自分自身の「気付き」の糧になるかもしれない。

でも。
今の私は「歪み」に引きずられるのは、いやだ。
だって、そんな余裕、ないもん。

自分と関係のないリクツで身を蔽うのは
今の私にはあんまり気持ちよくないもん。

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★4・「金八先生」掲示板

「3年B組金八先生」掲示板というところにカキコしたら、
掲載されていました

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ちょっと変わった感想かも? 2002/03/26 11:12:45
木曜日から昨日まで旅行に出ていて、
昨夜ようやく帰ってきてビデオで見ました。

・千田校長、私は教育長が言う
「真面目すぎる人」というのを真に受けています。
本人は「良かれ」と思っている、けれど
はっきり言って料簡が狭すぎて
「自分の利害しか見えない、理想で傷つきたくない」
みたいなことであんなふうになってしまっている。
今の日本人の男にあんがい多いパターン、と思ってしまう。
「管理職」という名の立場に縛られた人は、
ちょっと意外なくらい、同じような考え方に走ってしまうのかも。
縛られず、自分のものにできる立場性を獲得してほしい。

・金八先生の「さびしい」[かなしい」の授業、
とても練られた内容で良かったと思いました。
以前教職みたいなことをやっていたので、
懐かしかったです。
ミッチーが「たまたま」反応したのも、
金八先生が込めるものがあってこそだったのかな、と思いました。
ミッチーの「さびしい」「かなしい」に響いたのかな、と。

・金八先生は「父親代わり」をやることが多い。
私にはそれが「父性の不在」であるように思える。
現実にはあんなにたくさん「父親代わり」をやらされる人間は
自分が潰れてしまうだろうし、
実の父親がちゃんと父親をやっている場面も
金八先生で描いているよりも少しは多めに
存在するのだろう。
でも、それがとても少ないし、私たちが現実に目にする場面が
あまりにも少なすぎること……だから「ドラマ」で目にするだけで
こんなに感動してしまう……
そのことに、危惧を感じます。

信太のお父さんは、悪いけれど父親としては……
よくいる姿だけど、私は「父親失格」と感じてしまった。
共感を呼ぶと思うけど、あれでいい、仕方ない、と思ってほしくない。

・ミッチーが、私自身の息子と重なって見えました。
いじめにあっていないだろうか。
どうしようもない寂しさを、どこへも吐き出せずに
辛く歪んだ思いに囚われていないだろうか。

……会うことができません。
だからこそ、そういうことを感じてしまうのです。

私は、「女」で「父親」です。
Auism|女性|

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