原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年02月28日(木) 断片集 金八先生 おまけの愚痴つき(^^;

★1・断片集
★2・今日の金八先生〜カムアウトと法律
★3・断片集(続き)

★1・断片集

=原案帳メールより=

送信者 : "章香(あやか)"
宛先 : jackie-matthews@syd.odn.ne.jp
送信日時 : 2002年2月28日 17:42
件名 : 原案帳 今日は断片集


ある機能不全家族の中で虐待されつづけた人のHPに感動。
いくつか似た経験がある…

タイタニックの沈没シーンで「主よ御許に近づかん」が流れるのか……
今NHKでかかっている(服部克久さんの番組)

*↑注釈:『主よ御許に……』は、私の母が最もよく歌っていた「愛唱賛美歌」だった。
今でも忘れられない、母が台所でこの歌をずうっと歌いながら炊事をしていたことを。


低気圧のせい?
だるい。

「だるい」と言えば、今日やっと、標準的な薬(プレマ…のほう)を買ってきた。
処方箋を主治医の先生に出してもらったのだ。
今までは強い薬(プロ…のほう)を1/4Tにして飲んでいた。
(詳しいことは、いつかちゃんとしたかたちで…m(._.)m)
確かに、この薬だと、飲んでから数時間後に、だるくなってしまうのだった。
今日まで、そっち(プロ…)。
明日から、プレマ。
(もちろん、その薬にだってそれなりに副作用はある)

「二つを区別すること」。

私は何かにつけて「過剰反応」してしまうので、周囲の人は私がいると気にしてしまって落ち着かないかもしれない。
滅多なことは言っちゃいけない、傷ついたといって大変なことになっちゃうから、とか。
最悪の被害者は、私の弟だ。

でも…
それに気づいた私が
「そうか、私はそんなに扱いにくいやつか。
やっぱり私には居場所はないんだ…」
なーんて思ってしまったらいけないのよね(^^;
「迷惑かけるからここから去ります」ではない。
(「ない」ばっかりで文を結んでしまったのは、なんだか書きにくい…っていうか、まだよくつかめていないからかも。)
「迷惑かけないように気を付けるから、いさせてください」だ。
それに、一方的に「自分のほうだけが迷惑」と考えるのは、返って気持ち悪い。
要するに、関係ない。
それか、「迷惑」と感じる、相手のほうの問題。

本当に迷惑なのか、
それとも
私が「反省」などしたら話がおかしくなってしまうのか。

――この二つを区別する賢さを。

なぜか?「断片集」の続きはここからジャンプ(^^;
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★2・今日の金八先生〜カムアウトと法律

今日の『金八先生』を見ながら、『お話しましょ♪#2
に書き込んでいった。

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今日の「金八先生」02.02.28
投稿日:2002/2/28(木)21:1

(リアルタイム)
ついに直はカムアウト……
でも、とても破滅的なかたちで、それは起こった。
金八先生はうろたえる。歯噛みする。

……そう。
多くの「カミングアウト」は、行くも帰るも許されないような状況で
行われてしまうのです。
それで多くの当事者は傷つき、
周囲の人も傷つけてしまいます。
早く、誰もが「安全」なかたちでカムアウトできるようになれば
いいのに……


「イエスタデイ」の秘密。
……つづく……

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孤立する金八先生。

委員長のお父さんは「神戸なんたら大学」=「岡山大学」のこと、の
「戸籍上の性別訂正」に関わっていたのね!

政則の報道事件を絡めて、
「情報公開」について論を進めていく、という展開だったのか!!

私自身も、微かにそのことは感じていたのだった。
過去の自分を偽り、隠したままで生きていくのは、
たとえそれが本人の主体的な選択だったとしても、
地獄に匹敵する苦しみなのだ。

たとえ「元は男だったのか」ということがわかって、
それで周囲の目がそれまでとは変わってしまっても、
嘘を気にしながら生きていくのよりも
ずっと安心して、安全に生きていけるのだろうと思う。

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「嘘」という言葉が金八先生からも出た。

真実を知ることの苦しみ。
それを分かち合うこと。

……ちょっと、ここからは「同時中継」中断します。

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「一人の勇気の火種を、みんなの勇気にしてください。」

生徒たちがみんな泣いている。
クサい芝居って言う人もいるかもしれないけど……
でも、つられて泣けるだけの演出なんだろうな、きっと。

直に勇気を渡しに行く、委員長二人。

クラスのみんな。

マスコミ。
もしも私があんなふうに囲まれてしまったら、
どんな反応をするだろう。
……きっと、「過剰反応」して、ぜんぜん必要ないのに
「そうですよー、私がぜんぶ悪いんです!!」とか
収拾のつかないようなキレ方をしてしまうだろうな。

だから、守られるべきだ。

自分のことを、一生隠して生きなければならない、と考えて、
自らを「恥のある者」「後ろ暗い者」「罪びと」のように
隠れながら生きることになってしまう人を、
少しでも減らしていくために。

誰もが、頭を高くして歩いていいのだ、ということを
実現するために。


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今回の放送を見て、私は改めて
「GID当事者が当事者であることを隠しながら生きるのは、
本当はとても悲しいこと」
という認識を強くした。

はっきり言って、当事者の中には今でも少なからず
「カムアウトなんか絶対にしない、すべきではない」
と思って生きている人たちがいる。
特に、
「何も言わなければ普通に女性として生きていけるのに、
なぜわざわざ好奇の目で見られるようなことをしなければならないのか。」
という人たちは、確かにぱっと見た目はとても
「戸籍上は男性」などとは信じられないような人が多い。
「勇気を出してカムアウトしたら、とんでもない目に遭った。
二度とそんなことをしてはならない、という貴重な経験だった」
という人もいる。

それらは事実だ。
私自身、そういう人を数名知っている。
もちろん、それが誰かなどということは、
私も決して明かしたりはしない。
なぜなら、明かすかどうかは本人以外誰も決めてはいけないことだからだ。

そうして、そういう人たちの抱える事実の前で、軽々しく
「でもやっぱりカムアウトしたほうがいいよ」などとは、
決して言えない。言いたくない。

でも、それらは確かに事実ではあるけれど、
あまりにも痛ましい事実であるように思えて仕方ない……

私は最近、機能不全に陥った家族に虐待を受け続けて、
ついには「犯罪」と呼ばれても仕方ないような行為に
自ら追い込まれてしまった人の記事を読んだ。
それは恐ろしいことだったし、何も知らない人がその行為だけ見たら、
「なんてひどいこと」と決め付けてしまうかもしれないようなことだった。

でも、私はその人に共感した。
そうして、決して「ばかだなあ、余計なことを書かなければいいのに」
とは、思わなかった。

おそらくそれは、彼女自身が向き合わないと、
これからの人生を生き抜いていけないから。

GID当事者を決して全く同じに扱ってしまって良いとは思わないけれど、
だからといって
「そういう犯罪者と自分たちは違う」
と拒絶してしまって良いものなのだろうか。


……

私はこのことについて、何度も考え方が変わる。
でも、「変わる」というより「加わる」というべきか。

誰も彼もが「木に竹を接ぐように」カムアウトしなければいけない、とは思わない。
でも、今日の鶴本直みたいに予断を許されないような状況とか、
そうでなくてもカムアウトするほうがしないよりも
周囲との人間関係をより良く築いていくことのできるような場面は
多くの人に訪れるのではないのか。

その時に、「そんなことは決してしてはならない」という価値観だけで
生きていたら、
カムアウトはいっそう不適切なかたちに終わってしまい、
いっそうその人は「隠し事」を強く握り締めなければいられないように
なってしまうのではないだろうか……。

法律によって、人は守られる。
政則のことを絡めることで、そのことが見えてきた。
私自身、かつて大学で、ほとんど勉強らしい勉強はしなかったけれど、
素晴らしい恩師に出会って
「法律には必ず守るべきものがある」
ということを教わった。
私たちGID当事者も、何かのかたちで法律によって守られる部分があっても
いいのではないか。

来週にもまだまだ続いていく。
もっといろいろ考えたいけれど、いずれビデオかなんかをそろえるとして、
今はここまで。

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★3・断片集(続き)、っていうか「ババアの愚痴」(-_-;

☆☆前の断片集はバイト終了後、帰宅途中で車を公演の脇に停めてケータイで書いたもの。
↓はこれから書く(AM1:08〜(^^;)


このところ、「フラバ(=フラッシュバック)」が多い。
私はもともと、何か大きな出来事があると、自分のことじゃなくても
まるで自分自身に起きたことのように大騒ぎする癖がある。

(あー、そうだ、「大騒ぎする癖」といえば、私、中3の頃に肘の骨を折って、
すごく痛かったのに、養護教諭の先生=おばーちゃん=が
「会津くん(仮)は大げさに痛がるのねえ」と言ってたっけ。
けっこうそれ、「トラウマ」になってる……って、
「トラウマ」扱いしていることも多すぎない?>自分)


話を戻して……

私は性虐待を受けた「被害体験」がある。
それがどんな内容のものだったか、今ここには書かないけれど(だってやたらと書くの嫌だもん)
どうも自分で思っているよりも傷は深いらしく、
ちゃんと思い出せないことが多いような気がする。

「忘れてしまったほうが幸せ……」

そう、そう。そのとおり。
すっかり忘れて、私の行動にも思考にも、何の影響も残していなければ、ね。

でも、私は、たぶん被害体験のせいで、
「加害者」にもなってしまったのだった。

「そうやって、自分に都合の良いことを……」

はい、はい。私もそう思っていました。
でも、それは、かなり高い確率で起こってしまう現象のようなのです。

私は、自分がしたことを、たぶん、きっと、いいえ絶対!!!! 許さないと思います。
(ささいなことに見えようと、重大なことととられようと、人を傷つけたことに変わりはない!)
けれど、そのことの「原因」や「きっかけ」を、ただ単に
「自分は異常だから」
で済ませてしまおうとしても、何の問題解決にもならないのです。

私は、自分で自分のことを常に厳しく尋問し、裁こうとする自分を、
一刻も早く解き放って、自由にしてやりたいのです。
「放免しても、この者は再犯することはないし、また二度と餌食になることもない。
また、万が一同じような被害に遭おうと、同じような加害に陥りそうになっても、
きっと自らその絶望の淵から抜け出して来られる、
そういう人間なのだ」
と、自らを信じられるようになりたいから。

今はまだ、せいぜい「身体感覚の面で決して性虐待とかをやる気にはなれない」
(明らかに数年前までとは感覚そのものが違う)
という程度の自信しか、ない。
吹けば飛ぶような、「自信」?とさえ呼べないようなもの。
しかも、それ、「男じゃないから安心」っていうだけで、別に
「女性だから……」というわけでもない。
強いて言えば、「高齢者」。

私の命のともしびが、以前と比べて数段小さくなっているのを、
ひしひしと感じる。

だからこそ、生きているうちに、私にできることはできる限り
やっておきたい、と思う。

あーあ。

こーんなババアの繰言、もうえーかん、聞き飽きたっけら。
ほいじゃあ、わたしも寝るとしようかね。
なんだか知らないけんが、体中、ぎしぎし言い出したみたい感じ、するで。

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