- 2002年02月27日(水) ちょっと物騒ですが(^^; 正直な私
とある「IFF」で(^^;、「恨みがつのる」という投稿をした人がいた。
それで、私は痛ましくて、ついついその人に宛てるかのように
下の内容を書き込んでしまった。
けれど、はっきり言って、それ、すごい余計なお節介。
なので、そこに書くのはやめて、ここに書くことにした。
いきなりその人や、他の人の目に飛び込むような書き方は、したくない。
ここなら、その人が「読もう」と思って初めて目にすることができるのだし、
読みたくない人はここまで来なければいいだけのこと。
……まあ、そうは言っても、「たまたま見てしまった」ということもあるだろうし、
……
ううーーん、ネットって、むずかしいなあ。
---------------------------------
Title:恨みの晴らし方?
子どもの頃から、父が憎くて仕方なかった。
中学〜高校の頃、好きで好きでたまらない男の子ができた。
同じ吹奏楽部の後輩だった。
思いは叶えられるはずがなかった。
高校まで続けられることになっていたはずの
吹奏楽部を、父の策略で辞めさせられた。
「もう死んでしまいたい、それとも恨みを晴らそうか」と思った。
そういう思いが募ってつのって、
もうたまらなくなってしまった。
今思うと、ちょっと「テスの魔力」という気がするけど、
何かをしないともう、いても立ってもいられない、
そんなところにまでなってしまった。
……で。
自分で死んじゃうのは、できなかった。
やたらとそういう想像はするけれど、
実行できないのは、心のどこかでわかっていた。
父を殺してしまう想像は……
心で思うだけでも、私は家にいられないと思った。
それほど、当時の私は支配されていたのだろうと思う。
今思うとちょっと情けないように思うけれど、
あの頃はそうだったんだから仕方ない。
ていうか、私は父のことも好きだったので、
たとえば「殺してやりたい」とか、そこまでは思っていないのだった。
ぜんたいに、私は「誰か人を殺すくらいなら、自分が死んだほうがまし」と
思ってしまうのだった。
そりゃ「殺してやりたい!!」と思うのと同じくらい憎んだ人も、たぶんいる……
と思う(ちゃんと思い出せないけど、たぶん……だって人はそういうものでは?
あれ、一般論になってしまった?
私やっぱり違うのかな?? わからない????)けれど、
とにかく「殺したい」「殺さなければ」とか、そこまではっきりと思ったことは、
幸いに一度もない。
……で。
それで。
できるだけ、自分のそういう思いがばれないように、
でも誰か分かってくれる人がいたらいいなあ、と思って
私は小説を書いた。
できるだけわけのわからない単語の羅列に見えるようにして、
その中にそっと、自分の思いを潜ませた。
たぶん、読ませたかったのは自分だろう。
あれから四半世紀たった今でも、
稚(おさな)い表現の隠された意味が解読できるのは、
書いた私自身だけだと思う。
1976年のベスト10ソングを聞きながら、
そんなことを思い出していたのです。
---------------------------------
で、その小説っていうのは、これ→『反(ANTI)』
(クリックすると本文が読めます↑)
実は、「恋愛小説」だったんですよ(^^;
まじで。私はとても正直に自分のことを書く。
それをよく人に「書けるあなたは羨ましい」とか
「よく書けるねえ」とか言われるけれど、
私の心の片隅で、何か引っかかってしまう……
このところ、それをずっと気にしていた。
で、それはどうやら、具体的にいくつかのことがらがあって
気になっているんだ、ということがわかってきた。
っていうか、薄々気づいてはいたんだけれど、
言語化しないでちゃんと考えようとはしていなかったのだろう。
具体的なこと。
一つ。私は今年の初めに
「元パのことをネタにしないようにしよう」
と書いて誓った。
実際には、その言葉を裏切るように、私はこうして「元パ」という言葉を
出してしまっているけれど、
少なくとも「悪口」は書かないようにしよう、と決めたのだった。
ちょっと悲しいけれど、彼女と一緒に暮らし、子どももできて、
すごく大変だったけれど一生懸命生活しようとしていたあの頃が、
私にとってだんだん遠くなり、
何かのきっかけでフラッシュバックして苦しくなってしまうことが
ほとんどなくなってしまったからなのだろうと思う。
それに、私は彼女のしたことで苦しめられたとも思わないことはないけれど、
私のほうがその何倍もひどいことをしたのだ、ということが今ではよくわかるので、
そのことを思うと「恨み節」を吐き出す気もしなくなってしまうのだった。
むしろ、お互いにすれ違いながらも相手のことを愛そうと、
最大限の努力をしていたんだ、と思う。
ぐちゃぐちゃ難癖をつけて、そういうことを汚してしまいたくない。
あと、感情的なことはさておいても、私は実際に彼女に対して債務がある。
それを滞らせている今、何を偉そうに言えるだろう?
私はいくら元パとのこと、彼女への気持ち、そういうことを「正直に」書いても、
それで現実の負債を免れるわけではないのだ。
もう一つ。
つい最近、劇団の中の人間関係のことを少し書いたけど、
それが必ずしも相手とか周りの人に良いかたちで伝わるとは限らない、ということ。
私にたとえ悪意がなく、思っていることを「正直に」書いても、
人にはその言葉どおりに私の真意が伝わるとは限らない。
っていうか、私は「正直に」書いているつもりでも、
あんがい物事を裏側から言ったり、皮肉を込めてしまったり、
そういうことも「正直に」やってしまっているので、
それで私の言葉が誤解しやすい方向に歪んでしまっていることは
充分にありえるのだ。
それが人と人との距離だ。
たぶん、「何を当たり前のことを」とあきれながらここを読んでいる人が多いだろう。
私はその距離感が上手に保てない。
知らないうちに、私にしかわからないことを
「誰だって知っている、当たり前のこと」と思いながら言ってしまったり、
相手が思っていることを誤解したままで
「そう思っているなら、こう言えばわかってくれるでしょう」と
勝手に気を遣って、空回りしてしまったりすることも多い。
ただ……
そうやって誤解しあうことこそ、人間関係なのかもしれない。
私は、頭でそれがわかっていても、感覚的にその距離を感じることができないようだ。
「人間関係の方向音痴」とでも呼んでくださいな(^^;
あらら、話が逸れちゃった。
元に戻すと、「誤解」を計算に入れたら言えないようなことまで、
私は「正直に」書いてしまっていて、
それってもしかしたら人間関係にひびを入れるようなことにもなりかねないのに、
ということだ。
私のことをはらはらしながら見ている人も多いのでしょうね。
でも、私、自分に嘘をついて生きるの、あまりにも疲れてしまった。
嘘つきまくった挙句がこれかよ?! という「失望」っていうか「絶望」っていうか、
とても強いので、
少しでも人とつながって生きるために、
もう嘘はつかないことにしたのです。
---------------------------------
おまけ……
今日、コンビニの店長との会話で:
店長「午前中にお店にお客さんでかわいい女性っていうか、
章香さんと同じタイプっていうか同類っていうか、
そういう人が来たよ。
でも、骨格でやっぱりわかっちゃうなあ」
私「私、骨だけは削らないことにしているんですよ。
寿命が無駄にちぢむだけのような気がするし、
自分じゃなくなっちゃうような気がするので」
もちろん、骨を削れば今よりももっと女らしく見えるようになるだろう。
あご、額、頬骨、顔だけでもこのくらいは必要。
ああ、そうだ、だいいち、このデカい身長をどうにかしようよ!
店長「骨を数ミリずつ削って身長を低くする方法も
あるんだって?」
それ言ったら、骨盤も削らなくちゃ。
脚だけ削ったらバランス悪くなるから、
上半身も削らないと。
それって脊椎?
脊椎削ったら、神経に損傷が?
鎖骨とか、……そうそう、だったら、手も大きすぎるから。
……
きりがない。
きっと私は、自分の姿を鏡で見て
「これ、誰?」
と呟くだろう。
そうして、目線がこっちを向いているのに気づいて、
それだけは変わっていないのに気づき、
「ああ、まだ女らしく見えない!!」
と嘆くのだ。
バカらしい。
私が私らしくあるための条件は、もう満たされてしまったように思うのだ。