- 2002年02月18日(月) 甘えてる? 泉鏡花
★1・甘えてる?
★2・↑のつづき
★3・補足(または「愚痴」)
★4・泉 鏡花たぶんこれ、「錨(←隠語です(^^;)」だろうなー……。
ていうか、集団で何かをきっちりやらなくてはいけない、というとき、
私はそれについていけないことがよくある。
そういうとき、「甘えてる」と言われたり、思われたりすることも
よくあるようだ。
理由は、考えてみればあほらしいのだけど、
私がふだんは「そういうタイプ」に見えないから、なのだろう。
はきはきしていて、如才なさそうで。
でも、実際は、気を遣ってとても疲れてしまい、
次はもう二度とそこには行きたくない、と感じてしまうことも多い。
特に今、私が新たなジェンダーを生きようとしていることについて、
きっと周囲の人たちも戸惑ったり違和感・不快感を感じたりすることも多いだろうから、
その部分に抵触しないようにしなければ、と思うと、
かなりいたたまれなくなってしまうことも多い。
はっきり言います。
私は、甘えているつもりはありません。
でも、現実には「甘えている」としか言いようのないことばかりしています。
矛盾したことをいきなり言っていますけれど、
どちらも本当のことです。
ギャップを埋めるのは、無理にやろうとすると
たぶん壊れてしまうので、できること以外はやりません。
ただ……
そういう中で、少しでも、今一緒に集まっている人たちと、
良いものを作り上げていくことができれば、と思う気持ちは
変わりありません。
ゆっくり見守って、などとは言いません。
けれど、精一杯努力します。
わかってくれなくてもいいけど、それだけは本当です。1) はっきり言って、上の言い方は「過剰反応」だと思う。
2) せっかく親切に言ってくれていることに対して、冷静に反応できないと、
いずれ誰も私に何も言ってくれなくなってしまう。
……っていうか、わかってるんだけどさ。
辛くて。★3・補足(……でも、世間では「愚痴」と呼ぶでしょう(-_-;)
言い訳です。
見苦しいからやめたほうがいいんだろうけど。
くだらないリクツかもしれないけど。
(*1〜*3については、この記事の終わりに注がつけてあり、リンクして行って帰ってこれます)
私は、「性自認*1」のとおりの体を手に入れました。
もちろん、それは「脳の性別」か「ファンタジー」か、よくわからないけれど、
それに医療にも限界はあるので完全にぴったりとはいえないけれど、
それでも私にとってとても満足のいくものです。
(よく「SRS*2すると頭がおかしくなる」だの
「適応できずに自殺しちゃう」だのいいますけれど、
それは自分でもびっくりするくらいありません。
こういう体になって、本当に幸せです)
でも、課題はまだまだ大きいのでした。
というのは、関係性の中の性別、つまり「ジェンダー*3」については
実はまだまだ「女性の側で全ての人間関係を築き上げる」ということに
慣れてはいないのです。
だから、正直なところ、
女性として当然そのように振舞うだろうと思われているようなところで
ぶすっと黙ってわけのわからない顔をしていることが
多いのではないか、と思います。
本当に皮肉なことです。
私は、自分が女性の側にいるはずの人間であると信じて疑わずに
もうン十年も生きてきたのに、
それが「ばれては生きていけない」という思いから
必死にそれを避ける努力をしてしまった挙句、
「女らしい」と言われるようなことが、ほとんどできなくなってしまいました。
まるで、自分の祖国が「敵国」であるせいで、
母国語が全くしゃべれなくなった移民みたいだ、と思います。
そのことが、とても辛いです。
けれど、私は負けたくはありません。
だって、そういう選択をしたのは、私自身だから。
今は、この選択を、誰のせいにもできないし、
したくもありません。
もちろん、行きがかりはいろいろあって、
だから人のせいにして楽にしたほうがいい、ということもあるけれど、
それでは問題解決しないので。
*1:「自分がどういう性別の人間か」ということを認識すること。
ふつうは「体のかたちや機能」で決まっているもののようだけど、
「脳のかたちや機能」「身体の外見的特徴」とか「生育歴」「周囲からの扱い」など
さまざまな理由で、一般的に多くの人が「当たり前だ」と思っているのとは
異なった認識になることがあるのです。 (→元の場所へ戻る)
*2:「性別再判定手術(Sex Reassignment Surgery)」の略語です。
私は自分にとってどうしても必要な部分の手術は済ませています。(→元の場所へ戻る)
*3:「性(別)」にはいくつかの視点から角度を変えて見ないと
わかりにくくなってしまうことがあります。
1.「体の性」
2.「心の性(=これが*1性自認)」
3.「見かけの性別」
4.「本人が役割として感じる性別」
5.「性愛の対象」
これらは一定のパターンをとっていることが多いですけれど、人によっては「ずれ」があることもあります。
このうち、3.と4.をまとめて「ジェンダー(性役割)」として扱うことがあります。
「ジェンダー(gender)」という言葉は流行っていますけれど、元々は言語学の用語で、
フランス語やドイツ語では、全ての名詞にどういうわけか必ず
「男性」「女性」(または「中性」)という区別がつけられていることをgenderと呼ぶのが始まりです。
はっきり言って「そんなものに性別つけてどうすんの?」と思うようなものも、
「全て」二つか三つに分類されているのです。
(「太陽」と「月」がドイツ語とフランス語で男女さかさまになっている、とか(^^;)
ここから、遺伝子とか生殖とか、生物学的にどうしても決まっていること以外の「女らしさ」「男らしさ」を
まとめて「ジェンダー」と呼んでいます。 (→元の場所へ戻る)
ちょっと皮肉をこめて付け加えておくと、
たぶん「いつでもどこでも誰にでもゼッタイあてはめられるジェンダー」といのは、
この世に存在しないのだろうと思います。
私自身も含めて、本当は自分に当てはめる必要のないようなことがらまで自分に当てはめようとして
苦しみもがいている人は、この世にたくさんいると思います。
典型的なのは「男らしくしろ!」とか「女の子がみっともない!」とか言う人たちです。
それらの人たちは、まずご自分の「男らしさ」「女らしさ」の呪縛から自由になることを目指したらいいのに、と強く感じます。
だって、たいていはそういうことを言う人の表情は、痛々しいもん。
本人がそのことで苦しくて仕方ないのが、見えるもん。
(私も、そうでした。だからこそ、私は「男であろう」とするあまり、掃除も炊事もほとんどできない人間になってしまいました。
今の若い人たちの多くは、「男だから料理ができなくていい(できちゃいけない)」なんていう考えが
どんなにばかばかしいか、言われなくても分かっていると思いますけれど、
私が小さい頃に受けたしつけは、そういうものだったのです。
今それを取り返すのは、若い時に身につけるのよりもずっと大変です)
願わくば、できるだけ多くの人が、できるだけ楽にそういうことと向き合うことができて、
争いとか苦しみとか悲しみとかが少しでも減ってくれれば、と願っています。
あれ、後半は「皮肉」なんかじゃないや。まじです。
なんか、「補足」だったはずなのに、こんなにぐちぐち書いてしまいました。
こういうことをやると「気が済む」のは、私が男をやっていた頃に
「テストステロン(男性ホルモン)」の猛威で攻撃衝動が起きると、それを押さえつけるのによく使った手口です。
ごちゃごちゃと理屈をこねるのに脳神経を使うと、テストステロンの体内濃度が下がるのでしょうか。
(なんか、ばかばかしいけど調べてみようかな?)
これも、きっとその名残なんでしょう。
ちょっと精神的にまいっています。ところで、全然話は違うけれど、
くやしい。
私のペンネーム「会津里花」の「元ネタ(の一つ)」である「泉鏡花」の小説を、
今ごろになって少しずつ読み始めました。
(ていうか、そんなことしている暇があったら芝居の段取りしろーーー!!
と怒られそうだけど、残念なことにこういうかたちでバランス取らないと、
また壊れてしまいそうなので……ユルシテッm(^o^;m)
短編〜中編みたいだけど、今だから読みやすいです。
ていうか、中学〜高校の頃は古文調の文体にまだ馴染めなくて、
「いつかそのうち読めるときが来るまで、とっておこう」
と思って手をつけなかったのでした。
この年になってから読み始めて、本当に良かったと思います。
まあ、内容は、はっきり言って少女漫画とかコバルト文庫とかに出てきそうな
どちらかというとわかりやすい、けれどドキドキしちゃうような内容なので、
古文に自信のある子なら、中学生が読んでも楽しめるかも。
(でも「古文に自信がある」って、よっぽどかも)
高校生なら、きっと楽に読めると思います。
その世代までに、「古文」の授業がイヤで
「古文なんて大っ嫌いだぁ!!!!」とかなっていなければ。
本当は、古文、すごく面白いよ。
教える先生、子供がその世界に入り込めるようなヴィジュアル資料を
たくさん用意してくださいね♪
男の子はヴィジュアル大好きだから♪
(「それが簡単にできりゃあ苦労はしないよっ!」
……は、はい……そうですね、よけいなことまで言いました、ごめんなさい(^^;)
……
ううーん、「少女漫画にコバルト文庫」は、言いすぎかなあ。
「レディースコミック」みたいなところもあるし。
シェイクスピアみたいな悲恋ものだし。
読むのは少しずつです。
一昨日『義血侠血』を読みました。
昨日は読んでません。
今日は時間があるかどうか。
すっかり読みきるのは、お芝居が終わってからでしょう。
そしたら、次は「徳富蘆花」だぁい♪
『不如帰』なんて、中学2年の時(国語の文学史の時間)から気になっていたんだから!
(でも「擬古文体」を敬遠していた……『不如帰』がそうだったかどうかは覚えてない;
他にも「明治ものは読まない」とか、ヘンなこだわりはあったと思う>中学〜高校時代)
ようやく、自由になったの。私。
楽しっ♪
くやしいことが起きている。
しかもそれ、「悔しい」と感じるべきではないようなことかも。