- 2002年01月27日(日) 健全な日記 お芝居 メモ Bisexual
★1・健全な日記
★2・お芝居
★3・メモ
★4・Bisexual(ばりゅちゃんを使う。なぜなら――
ばいおくん、どうしても生活の「くつろぐ場所」に持ってきてしまい、
まともに寝るということを阻んでしまう状況を作り出すからだ。
そんな状況を自ら作り出しておきながら、ハマった自分に苛立ち、消耗し、……
わかってるつもりだけど、やっぱり、ばか>自分)昨日TSFJというHPを訪れたけど、
そこで論じられていたことは私にとって「活を入れる」ものだった。
確かに私は精神的に「病んでいる」としか言いようのない状態だ。
でも、だからといって、ただ「だらだらしてればいい」わけではない。
念のため。「自罰的な気持ち」から自分を責め立てるように
嗜癖へと駆り立てるわけではない。
悪循環を繰り返す自分の生活ぶりに「飽きた」、「嫌になった」。
それだけ。
もしかしたら、こんな「エラそう」なことを書きながら、
明日になったらけっきょくまた「元の黙阿弥」かもしれない。
でも、幸か不幸かそのことを気にするのは私が一番……ていうか、
もっと言うと、私以外はたいして気にする人もいないと思うので、
そのことで自分を責めて身動きできなくなるようなことにはならない……と、思う。
逆に、なってしまったら、それはそれでまだまだ回復が不十分なのだろうから、仕方ない。
(実は心配してくれている人が何人かいて、↑に書いた言葉を見て
「ああそうかい。だったらもう二度と心配なんかしてやるもんか」と
思うかもしれない。
そんなことになってしまったら私はとても悲しいけれど、
こんなふうに自分のことしか考えられない私の幼稚さ、あるいは症状の重さ、を
どうかわかってもらいたい。
できることなら、そっと見守っていてほしい……)
(ついでに言えば、こんなにくどくどと拘ることが、そもそも「症状」なんでしょうね、やっぱり。
それは、わかる)今日、ついさっき、お芝居を見てきた。
離婚した夫婦のお話だった。
私は元夫、元妻、両方に半分くらい共感したし半分くらいはわからなかった。
でも、私に見えなくなっているところを見せてくれたような気もして、
なんだか少し、安心した。今は正直言って「わけがわからなくなっている」ような状態の私だけど、
私は今でも確信できる気持ちを、疑いなくこれからも持ちつづけたい。
私は彼女を、愛している。
「じゃおまえ、オトコじゃん、やっぱ」
というような短絡的なことを言いたい人は、私の姿の見えないところでお願いします。
陰口でもいいけど、私の耳には絶対に入ってこないよう、気をつけてね。そうして、私は。
彼女への愛情は確信しながら、
新たな愛に燃えるのです。「バイセクシャル」という言葉をとてもマイナスの意味で使う人がけっこうたくさんいるようだけど、
すみませんがそういう人もできるだけ私の前に姿を現わさないでくださいね。nano secondという演劇ユニットのお芝居を観た。
タイトルは『パドゥドゥー』という。
(前に、知りもしないでエラそうなことを書いてしまい、
なんだか業界の人たちに悪いことをしてしまったと思うので、
あまりやたらなことは書かないようにしたいと思うけど……)
チラシは色刷り・二つ折りになっていて、とても凝ったきれいなものだった。
私が昨年はじめて行ったお芝居にも入っていたし、その後観に行ったあちこちの公演でも
ほとんど必ずと言っていいくらいそのチラシは入っていた。
ただ……
チラシそのものにもとても大きな宣伝効果があったのだけど、
(Mさんはじめ、関係者の皆さんごめんなさい!
でも、あえてこれは言わせてもらいますね(^^;)
理由とか意図とかがよくわからないけれど、お芝居のタイトルに使っているフランス語のつづりが
間違っていたのだった!!→「タイトル」に関する詳細
しかも、チラシの中の文章に「細かいことにも拘る」と書いてあるし、
「タイトルはフランス語で……」とも。
……ううっ。
うさんくさぁーーーい。
(細かいことは書かないけれど、チラシにはあと1、2ヶ所、ちょっとイタすぎるミスがあった)
地元の演劇界について(少なくとも私よりは)詳しい人に
「どんなところなの?」と聞いてみたけれど、
「あんまりいい話は聞かないなー……」だって?!
で。
いったん、「そんなところだったら行くのはやめておこう」と思ったのだった。
チケット代、高いし。
でも。
実は、そのお芝居の演出兼照明の人が、学生時代からの知り合いで、
しかも私がお芝居から全く離れてしまっていた時期(=帰郷して他家へ嫁ぎ、しかも仕事ばっかりやっていた頃)にも
何度も「偶然に出会っている」のだった。
帰郷してすぐの頃に、その人が演出だったか主宰だったかしているお芝居、観たことがあった。
なんだか、「やっぱり観ておきたい……」という気持ちが、むくむくと頭をもたげてきたのだった。
もしかしたら、世間ではそういうのを「怖いもの見たさ」(ごめんなさい(^^;)っていうのかも。
でも、その人なら、「うさんくささ」も理解できる……っていうか、
たぶん「見て損しないうさんくささ」だと思ったのだった。
このあたり、わかってくれる人はもうあまり生き残っていないような気もする……(遠い目)
って、戦争体験の話か、それ???!!!
けっきょく。
お芝居を観る動機としては、はっきり言ってかなり「不適切な」気持ちで、出かけたのだった。
(それに、遅刻したし……(-_-;)
そうして、ようやく(-_-;、感想。
見て、よかった!!!!
私の個人的な事情を込めて、という副詞句をつけてしまうけど、よかったです。
お芝居そのものとして見た限りでどう、というのは、私にはあまり客観的な批評ができない。
それは、今までくどくど述べてきた事情のほかに、もう一つ、
前の記事にも書いたように、このお芝居が「離婚」を扱ったお話だったから。
それで、私は自分自身を、
登場人物の「元夫(弁護士)」「元妻(TVプロデューサー)」の両方に感情移入しながら見れたけれど、
登場人物の年齢設定がたぶん「30歳前後」で(それはセリフにも出てきていた)、しかも
もしかしたら演じている役者さんはもっと若いかもしれず、
(言いたかないけど)「40歳(1ヶ月半たったらもう1コ上ですよ(-_-;)」という私が
完全に自己移入してしまうには、ちょっと無理があったかな、ということ。
弁護士の元夫がちょっと子どもっぽく見えてしまったのは、でも、脚本そのもののせいかもしれない。
良くも悪くも「ジェンダー」をあれこれ意識してしまったのだった。
ただ、……まあ、どうせ「妄想」みたいなものだろうから、
一人でそう思い込んでいる以上のことはしたくもないけれど、……
もしかしたら、私の元パートナーも、
多くの「ウソ」(←それはむしろ私の役回りだったと思う)や
「裏切り」(←あ、こっちも私か……って、ロクなことないやーーん!)の向こう側で
私のことを愛していたのかな、と思うことができた。
男は、基本的に、バカだ。
すぐに目先のことに気を取られて、もっとだいじなものを簡単に裏切ってしまう。
でも、女は根っからうそつきだ。
自分のうそに気を取られて、もっとだいじなものが自分でもわからなくなってしまう。
そんな余計なフィルターの向こう側で、愛が送受信可能になるときが、
ほんのわずかだけれど、あるのかもしれない。
最後の「送受信」という比喩はお芝居とはぜんぜん関係なくなっちゃったけれど、
そんなことを考えさせられながら、見ていたのだった。
そのことを考えるチャンスをくれたこと、感謝したい。
ありがとう、nano secondの皆さん。タイトルに関する詳細
お芝居のタイトルは『パドゥドゥー』というのだけど、
チラシには大きな白抜きの字で"PADEUX"と記されていた。
残念ながら、バレエ用語でもおなじみの「パドゥドゥー」は、フランス語では
"pas de deux"と表記するのだった。
英語で言い換えれば「steps(=pas) by(of?)(=de) the two(=deux)」)
日本語に直せば「二人組のステップ」。
(02/02/01追記:やったーっ!! ついに見つけた♪ 今まで検索の仕方が悪かった(-_-;
「パドゥドゥー」じゃなくて「パドドゥ」で調べればよかったんだ!
『みるみるバレエ用語http://www.joy.hi-ho.ne.jp/mii21/frame_a.htm』より
パ・ド・ドゥ
Pas De Deux
男女2人の踊り。 パ・ド・トロアPas De Troisは3人の踊り。パ・ド・カトルPas De Quatreは4人の踊り
以上追記)
そうして、このお芝居も二人芝居で演じられたのだった。
役者のお二人、とても大変な役をよく最後まで演じきったと思う。
中だるみとかもなかったし、きっと大変な練習を積んだことだろうし、
才能にも恵まれているんだろう。
お疲れさまでした、お二人さん♪
★・★・★★藤野千夜さん『日本語とセクシュアリティ』
っていうか、びっくりした。
何をびっくりしたのかと言うと、
「藤野千夜」という名前を『月刊言語』で発見したからだった。
(前にも取り上げた『月刊言語』2002年2月号、
「特集・言語のジェンダー・スタディーズ」・
金井景子「その男の子が、スカートをはく日のために」よりp66)
ただし、そこでも他文献の紹介、というかたちで言及されているだけだが。
以下、金井氏の文章を引用しておく。
以下引用-----------------------
日本語で「書く」あるいは「読む」という行為それ自体のなかに潜むジェンダー化の意識については、
斎藤美奈子編『21世紀文学の創造(7)男女という制度』(2001年、岩波書店)に収録されている
藤野千夜「日本語とセクシュアリティ」を参照されたい。
「僕」や「私」という一人称、「君」や「あなた」といった二人称、そして「彼」や「彼女」などの三人称が、
人物の男女別を指示するばかりでなく、書き手や受け手のジェンダー意識をあぶりだす様子が、
絶妙の筆致で解き明かされていく。
ここで繰り返すまでもなく、ジェンダーということば自体が文法用語から派生したものであったように、
歴史性を帯びたことばそれ自体が、いやおうなくその民族や国家のジェンダー意識を内蔵しているのである。
*改行=引用者による
-----------------------以上引用
ううっ、……お、おもしろそう〜〜〜〜〜!!
でも、取り急ぎ、『ルート225』を読まなくちゃ。
それが先。(今から読んで、読み終わるのは朝か……けっきょく……)★続「MSN」
よっぽどいやになったらしい。
今日、とあるHPを検索しようと思ったのだけれど、
ついついMSNのページを開こうとして、開きかけたら、吐き気がしそうな気がして、
ついつい一瞬「BIGLOBE」(以前の私のプロバイダ)に行きかけて、
でもあれもNEC製品を買うとデフォルトで無理やり加入させられるんだった、と思い出したら
それもいやになって、けっきょく「goo」で検索したのだった。
ふだんはあまり使わないのに。★あるミュージシャン
……っていうか、こんなことすると怒られちゃうかもしれないけれど、
好きなミュージシャンのHP→ABU'S Web
私が帰郷してそれまでに積み重ねたもの全てを捨てて結婚し、
でもやっぱり音楽は私そのものだから、と再開した音楽活動の中で知り合った人。
グルーヴ感が、すっごくイイのよーーーー!!
今年はこの人のライヴ、1度か2度は聴きに行きたい。
っていうか、私の好きなミュージシャンの人に何人かお願いして、
ライヴを企画してみたいなー……
そんなこともしたい、と思ってしまう、
♪「浮気な40歳」♪(←竹内まりや『心はいつも17歳』のメロディーで(^^;)
……げろ(ToT)えっと、いちおう、念のため……
上のほうの記事にも書いたけど、私は事実としては「バイセクシャル」ということになるのかもしれない。
でも、もしかしたら何かしらの否認を帯びてしまうのかもしれないけれど、
少なくとも今の私は女として男が好きなヘテロセクシャルです。
自分でも「言い訳にしようとしているんだろう」と思ってきたけれど、
今日のお芝居を見て、むしろ確信しました。
私は、自分の元パートナーを愛しています。
それは今でも変わりません。
でも
それは、同性としての友情として成立したなら、
もっと良いものとなったでしょう。
筋が通らない言い方になっているかもしれないけれど、これが私の実感です。
心から愛しています。
でも、性的には、もう二度と「性愛」として女性の体には触れたくないです。
誰だろうと。