2002年11月13日(水) |
無口な男には価値が無いか。 |
日本の男は無口だと言う。 その上で、無口な男は稚拙。大人ではない、と言う。 この説を短絡すれば。 日本の男は稚拙で子どもじみている、ということになる。
外国流に考えりゃ、そうなんだろうなァ。
著名な男性作家の書くものをつらつら読んでいると。 彼らの言葉の端々に、含羞てのか。 簡単に言うなら「言い訳じみた」ムードを感じることがある。
男は無口。黙ってサッポロビール。 何たって「健さん」だからヨ。 饒舌はみっともねーちゅうスリコミがキツいわけだ。
けどまー歴史を振り返れば。 その主立った所は、饒舌でこすっからい奴がさらっている。 男が「いつもいつも無口で」居たら歴史は変わらねかったちゅうわけ。
無論女性も同じ。 無口が良いとか悪いちゅうのは「場合による」。
言うべきことを言わないのも。 言わでものことを言うのも。
まったく似たようにあほらしい。
毎日キチッと働くことに長けた男と。 ただひたすらに、語彙だけが豊富な男。 結婚すると安心出来るのは前者。 ハラハラしながらも楽しめると思いきや。 余計な浮気だのが心配でしょうがないのが後者。
けど。 浮気がマジになったら怖ェのは前者。
な。どっちもどっち。
聞いて価値ある事。 言うて意味ある事。
それ全部てめえで決められるのが、自由社会てもんじゃね?
読んでくれとヨ。 つきつけたわけでもあるまいさ。 ただし、読むなとも言えまいさ。 大事なのはいつでもてめえにゃ。 「コートに飛んできた球を打ち返す権利がある」いうこと。それだけだ。 そんで、その打ち合う球筋。どっちが鋭ェかは。 群がるギャラリーが決めてくれることだろう。
言葉足らずで迷惑かけちまったかな。 すまなかった。 この頃はちーとも社会に言及せず。 ネット社会にばっか言及するてめえをアホかとも思うが。
自習時間が、てめえ以外の誰かのためにあるわけ無ェし。 のんびりやるさ。
無口になりたいことも有るにはあるが何。 こちとら。 饒舌で居ることにしか価値の無ェタイプの人間でありやんす。
口をつむぐ時ゃ。 くたばる時だよ。
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