尊敬する年上の人と飲んで居て。 平井堅の「おじいさんの古時計」リバイバルの話になった時。
そういえば、うちの小僧には爺さんが居ない。 桜木の親父はバックれたし、家人の父親も無いから。 小僧には「おじいちゃん」と慕う年老いた人が居ないのだと。 そう淡々と話していた時、ふいにその人が、
「それを不憫に思うんじゃないぞ」
と言った。
親の自殺。離婚。病死。 親世代のそうしたツケが子世代に回る時代の。
たくさんの青年たちを見て来たその人は。 「一番悪いのは、我が子を可愛そう可愛そうと育てることだ」と言った。
不幸は等分に有り、幸福なだけの人間なぞ居ないのに。 わかりやすい不幸に親が浸り、我が子を不憫に思いながら育ててはいけない。
不足は、言えば真実になるが、言わねば、無いも同然よと。 その人は笑った。
不足の中で生きた人が言うから、説得力がある。 そもそもかつての日本人は、そういう時代を生きていた。
米が食えぬと不憫がられて育ったことは無い。 無いものは無いが笑いながら生きて居たと、その人は言った。 しかしそうして生き抜いて、年老いた親がふと言ったそうだ。 お前たちには本当にひもじい思いをさせていたと、言ったそうだ。 そしてそれを、幼い時分に聞かなくて良かったと、その人は言うのだ。
不憫がられて生きたツケは必ず回ると。 社会や歴史を恨み無関係の豊かな他人を恨む感情にとらわれていれば。 空な心で世間に臨むことは出来なかったろう、と言うのだ。
恨みつらみ妬み嫉み。 てめえの目を暗くさせてた感情に思い当たる。 親は桜木を不憫と思うたか。
思うたろうな。 明るさは確かに失っていた。 笑いは確実に目減りしていた。 ただ、どこかで一族は浮上した。 全てを受け入れ。 無いものは無い、居ない者は居ないのだと受け入れた。
可愛い子じゃあないかと。 写真見て笑う人の目尻に泣いた。
不憫と思うな。
その何より強い、世代を越えた大きな励ましに。 止めようもなく目の奥で泣いた。
そして爺さんが居ない分。 小僧には大勢の、温かき先達があるのだと知った。
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