2001年12月29日(土) |
今年最後の、答えのない日記。 |
顔を知らない知り合いの一歳の子供の死を、家人に知らされた。
家の前ではねられたそうだ。はねたのは四十代のパート主婦。 何かの配送の途中だったらしい。
知り合いの知り合いくらいの関係、だから。 弔いに行くわけじゃない。
ただ残念だ。
残念で仕方ない。
やがて、自然。
はねた方の主婦の今に、思いが及ぶ。 年の瀬の、あわただしい気分の中で。 完全なる不注意だったとも、思われない。
なんせ一歳の子供。 完全に死角に入る。 動きに予測が付かない。 判断力がない。
車のハンドル握る人間なら、誰しもゾッとする事件。
一歳の子供は一人で外に出ない。 けど。 一歳の子供を制御するのは至難の業。
チョロチョロと動き回る子供を、大人が見失った一瞬の出来事、だろう。
はねた主婦にも子供が居たろうか。 居たろうな。
年末どころか人生が暗黒に染まっちまったかのように思える瞬間の。 長さを思うと。
ただ。震える。
けど。
なあ。もし、そんなやりきれない事件の加害者に、なっちまったら?
なあ。そんな時の処世術。これまでの人生で誰かに教わったか?
誰か教えてくれたか?
そんなこと聞かれたってみんなヨ。 顔を曇らせ。心の中で言うに違いない。
そんなことになったら大変だから、そんなことにならないように気を付けてるんだよ。 そんなことになってしまったら、もうどうしようもないよ。
どうしようもないよ。とナ。
けど。 どうしようもねー、て言われても。
今。実際。そのどうしようもない現実に囚われてる人が確かに居る。
誠心誠意お悔やみを言えばいいか? 仕事中の事故だ。会社が慰謝料を出してくれるか?
けど。
一歳の子をはねた。その子を殺してしまった。
その時の。その謝罪。どんな顔で? どんな言葉で?
誰も知りゃしない。
けど。
テメエの子が一歳ではねられたら。 どんな顔も。どんな言葉も。
どんな謝罪も。
受け入れられないことだけは、みんな、わかってるんだろ?
年末の。やりきれない事件。
死んだ子供が本当に気の毒だと家人は言った。
折しも皇室のご出産でまあ。普段なら見かけねーような赤ん坊の写真が新聞に踊る。 取ってつけたよに育児を礼賛する記事。テレビ。これからますます増えていくこの時期。
家のモンも辛い。 一緒に居た親か保護者も辛い。
はねた主婦も辛い。
確かなことは、今。ただそれだけだ。
桜木は。
いつ自分がそんな事件の加害者になるか。 いつ自分がそんな事件の被害者になるか。
そういう考え方をやめられない。
けど。
どうやって自分が加害者として振る舞うのがイイのか。 どうやって被害者として対応すればいいのか、てことすら。
わからねーまま。
また年が暮れて。 年ばかり取る。年ばかり、取りやがる。
車の運転は慎重に。 ちっさい子供からは目を離さねーように。
て。オイ。
大の大人に言えることが、たったそれだけか?
そんな自問自答もむなしく。
ただ。泣きはらした顔と嗚咽だけが彼方にある。
「いつそうなるかわからないんだから気を付けろ」と。
言えることは、たったそれだけ?
ガキの頃。 花瓶一個落として割ったって、押し入れに隠れたくなったよナ。 それが人間。
それぞれの思いが、まっとうならまっとうなほど、辛いんだ。 それが人間。
その加害者の心を。 被害者たちの後悔を思いながら。
それでも年は明けると。 それでも明日は来ると。 そんな言葉が、今、何になる?
本当の悲しみの前にあって。 出来ることなんてわずかだ。
小さい小さい子供の亡骸に。 花を。
その旅立ちに。花を。
他に何が出来る?
出来はしないんだ。
ただ幸いあれと祈るだけだ。 生きとし生ける者全ての頭上にただ。 幸いあれ、と。
桜木は。
これが今年最後の日記。
無事に生きてりゃ。
来年、家人の実家から戻ったあたりにでも。 挨拶します。
くれぐれも気を付けて良い年を。
今年の出会いに感謝しながら。 今年の幕を閉じる。
人生の幕まで閉じちまわねーように。 ま。
ちっと、気を付けつつ、な。
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