2001年11月24日(土) |
DVD「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見た。男と女の生き様について考えた。 |
オイオイ懐かしい。今さら「ヤマト」?
なんて言わずにつきあってくれるって人は、ひとつヨロシクだ。
ブッ壊れてたDVDプレイヤーの替え玉が来たんで。 嬉しくなって、買ったまま置きっぱなしになってた「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見た。
それで思った。
男の生き様ってなんなんだろうなァ、と。
いや。男の生き様、なんて言葉を使うヤツって。今でも居るのか。居るよナ? 居ると言ってくれ。
「男の生き様ムービー」としか言いようのない「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見ながら。 桜木はずっと考えていたヨ。
今日の自習では。まあ。女の、でもいいんだ。
「生き様」ってものについて考えてみる。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」のストーリーを簡単に説明すると、こうナ。
軌道上にある星をすべて侵略しながら銀河を横断している帝国があって、次のターゲットとして地球がねらわれて。 かつてガミラス帝国との戦いに勝利し、地球に平和を取り戻したヤマトの面々が、新たな脅威へと立ち向かい。 熾烈な戦いを繰り広げ、多くの犠牲を払ったのち、宇宙全体の平和を取り戻すのであった…。
んー。こんな風に書いてみてもちっとも面白くないんだよなァ。 でも、だからといって「見ろ」とも言えないところが辛いところか。
で。実はさ。
遠い昔にこの映画が公開されたばかりの頃。 ストーリーが、けっこう叩かれたんだよナ。
最後にヤマトが○○するところが、第二次世界大戦末期の日本的挺身思想だの「死の美化」だのって。
まあ確かになー。勇気あるストーリーだったと思う。 主人公が、その恋人と一緒に戦いに赴いたのち、たった一人(二人?)で敵の懐にピーーッしちまうんだもんナ。
けど。
その○○の前にヨ。主人公の古代進は言うんだヨ。
何十年の寿命を生きて。死んだらそれでオシマイなんて。
命ってそんなにちっぽけなものじゃないはずだ、って。 ちょっと違ってたらゴメン。でも大体こんな感じ。
当時、まだ青々としたティーンエイジャーだった桜木は、何がなんだかわからないまでも、その古代進の言い分が「むちゃくちゃなもの」であるとは思わなかった。
確かにそうだよ。何年生きるかじゃなくて、どう生きたかが問題なんだ。と思った。
ものすごく保守的に生きたとしても。 ちょっと外に出た時に、パーンと車にはねられて死ぬかもしれない。
そういう保守的な生き方と唐突な死に方の前には「生き様」なんて言葉の入り込む余地はない。
何のために生きる?
そしてどんな風に死ぬ?
それを選択できるということが自由ってことだ。 その自由を存分に生かして生かしきることができる人間こそが、自由を与えられるに足る人間ってことだ。
地球。いや宇宙全体に迫り来る脅威を消し去るために、命とてんびんにかけて、「出来ること」があるのなら。
誰だってそうするんじゃないか。昔、桜木は思ったヨ。
人道主義とか。人間一人の命は地球より重いとか。命がけ、ていう言葉を軽々しく使うなとか。
そんなのは理屈に過ぎないんだと思ったヨ。 自分にとって何より大切に思えるものが。 目の前で燃え尽きようとしているのを見せつけられたら。
覆い被さっても炎を消し止めたいと、思う。 とっさに、ではなくて。
どんなに長い時間考えても同じ結論を出すだろうと思う。
そういう時。人は、自己保身よりも大切なものを見いだしているのだろう。 それは何か。
自己保身より大切なものって何だろうか。
もう、そろそろ記憶から薄れかけているのかナ。
ホームに転落した人を助けるために飛び降りて、死んでしまった人たちが居たこと。
転落した人のことなんて、何も知らなかった彼らが。
どうして身を挺して彼を救おうとしたのか。 韓国の青年の父親が「あいつはそういうヤツだった」みたいにコメントしていたのを何かで読んだけれど。
それが、あの青年の生き様だったんだろう。
彼というのは。そういう生き様を望む男だったんだろう。
そうして、それを知り、認めていた父親の生き様もまた。
そういうものだったんだろうと思う。
バカげている、と批判する人も居たみたいだ。 残される人間の気持ちを考えたら出来ない、と言う人も居たみたいだ。
そうして、その人のその気持ちも、尊い気持ちだと桜木は思う。
大切なことは人それぞれに違うから。
大切なこと、大切なもの、大切な人を守るために生きるという意味において。
選ぶ生き様も、人それぞれなんだ。
だけど。
その昔。
男ならこう生きろ。女ならこう生きろという規範がはっきりしていた時代があって。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」を久しぶりに見た桜木は。
そのあまりの美しさに、涙してしまうところだった。
戦争賛美とか。自己犠牲賛美とかをするつもりはない。 死ねば英雄という考え方はキライだ。 女は男をたてるべきだとか。 男は女を守り抜くべきだとか。
そういうのもみんな人それぞれであるのだし、押しつけられてすることではないとは思う。
けれど。
生前の、古代進の恋人ユキの、
「これだけ地球が復興したのは、補給物資の船団を警護してくれている古代君の働きがあればこそ」
的なセリフには、昔ながらの「愛する男を尊び奮い立たせる女」の心が生きていて、とても瑞々しい感じがしたし。
冷たくなったユキの亡骸に向けて初めて、「愛してる」「大好きだ」と語りかける古代の姿には。 昔ながらの、「本当に言うべき言葉すら照れて伝えることができない男」の姿がだぶって見えた。
そうして桜木は、「さらば宇宙戦艦ヤマト」に描かれたそうしたシーンを。 「古くさっ」の一言で済ませる気持ちには、どうしてもなれなかった。
生き様の美しさは。 押しつけるべきものではない。
それはただ感じるべきものだ。
ただ感じて、胸に置くもの。ひびかせるものだ。
あさってになれば忘れてしまうかもしれない。 相変わらず自己保身の中で、日々を送っていくだけなのかもしれない。
けれど。
二十年以上の時を経て「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見た時。
桜木は、当時の自分が感じていた思いが、決して消えてはいなかったことを知った。
「ヤマト」シリーズは、本当にどうしようもなく乾ききってしまった。
製作指揮者によってここまでおとしめられてしまった作品も、他に例を見ないように思う。
しかし。「ヤマトは二度と貴方の前に姿を現さない」というテロップに、家人と失笑しながらも。 桜木は言っていたんだ。
確かに「ヤマト」には裏切られたし。ガックリもさせられたんだけれど。
「さらば」に感じた思いは消えないし。
「さらば」という作品の美しさが消えてなくなってしまったわけではないんだ。と。
日々くだらないことに奔走し。くだらない汗を流している桜木だけれど。
本当に大切なものや人のことは。守りたいと思ってる。
どんな安全な生活の中でも。 どんな退屈な日常の中でも。
命がけで守りたいものがあるのなら。
それが。 男にとっても女にとってもかけがえのない、生き様というものだと思っている。
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