こしおれ文々(吉田ぶんしょう)
◇洞ケ峠を決め込む(一覧へ)
◇とこしえ(前回へ)
◇倒れるなら前のめり(次回へ)
2012年04月15日(日) |
吉田サス劇【夏美】(第3部)第28話『胸を抑える右手と諦めの悪い左手』 |
吉田サス劇【夏美】(第3部)
第28話『胸を抑える右手と諦めの悪い左手』
彼女が階段を下りきって1階に辿り着く
足元に向いていた顔は 正面の玄関に向かい
目を閉じ いつもより長いまばたきで 目を開けたとき
ほんの一瞬
誰もが気付かないくらい短い時間で 口角は上がる
彼女は笑った。
2階から手すりに腕を載せ 彼女と父親が 階段を下りるのを じっと見ていた私は
彼女の笑った顔を見た瞬間 すぐさま彼女を追いかけた
すれ違うときにぶつかり 驚いた様子で私を目で追う同僚たちに 謝る余裕もないほど 急いで私は彼女を追いかけた
吹き抜けでフロアの中心に位置する階段
ついさっき彼女が下りていった階段に 私は辿り着き
転げ落ちないよう 右手が手すりを撫でている
この年齢になって 私が出せる精一杯のスピードで 階段を駆け下りていく
いま捕まえなきゃ もう二度と彼女に会えない気がした
やっぱり犯人は彼女だ
ただし【犯人】という言葉が この場合当てはまるかどうか疑問だ
もちろん大学生殺しという意味では 【犯人】と言えるのだが
ネットの世界に迷い込んだ主婦と大学生から 金を巻き上げ 使い終わったら消し去ってしまうという 殺人を含めたこの完璧な計画
この計画を企てた【首謀者】という言葉のほうが 彼女には適していると言える。
警察に連行され事情徴収を受けることも
結果、 それが証拠不十分で不起訴となることも 彼女の計画のうちだった
転げ落ちることなく 1階に辿り着いた私は 玄関を飛び出すと
30m先に停めてあった乗用車に 彼女と父親が後部座席に乗り込んでいた
追いかける私を知ってか知らずでか 彼女を乗せた車は走り去った
右手は息苦しさで胸を抑え
届くわけもないのに 左手は肘が伸ばせる限界まで 彼女の乗った車を追いかけた
車のナンバーは控えたが 盗難車ということがわかっただけで 結局それ以降彼女の足取りは見つからなかった
彼女はどこへ行ってしまったのか
いまも【夏美】として ネットの世界には存在しているのか
私は諦められずにいた
仮に目の前に現れたとしても 法律で捕まえることのできない彼女を
私はいつも思い出していた
1階に辿り着いたとき ほんの一瞬見せた彼女の笑顔を
|