samahani
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「もしパパとママが離婚することになったらソマツになるね」と息子(次男)が言った。「えっ?その日本語変だよ、どういう意味?」「食事が粗末になるとか、洋服が粗末になるとか言わないと、意味を成さないでしょ」などと言ってみたが、彼も私の言うことが分らないらしい。あれこれ言ううち、彼が言いたかったのは「離婚することになったら、訴訟になるね」だったと分った。
てか、財産分与のことを言っているのだろうけど、別に離婚になっても話し合いで解決するから訴訟にはならないでしょう、アメリカ人じゃないんだから。
ある時は、誰だったか亡くなった人の話をしている時に、彼に「○○さんが亡くなったの知ってた?」と言うと、「うん新聞にツイタクって記事が書いてあった」と言う。「ぎゃー、それは追悼って読むのだよぉ」
ある時は「パパの作った味噌汁はコサソウだから飲まない」と言う。「それを言うなら、濃そうでしょう。濃さ、重さ、高さなんかはみんな名詞。形容詞は、濃い、重い、高い。重そう、高そうは形容詞の最後の(い)をとって(そう)をつけているのだから、(濃い)は(濃そう)ってなるのは分るでしょ」とすらすらと説明の言葉が出てくるところは、私もやっぱり元日本語教師である。(あ、まだ辞めた訳ではないけど)
彼も家庭では日本語を話しているし、日本語の新聞も小説も読んでいるようだからと安心していたけれど、少し心配になってきた。考えてみれば、彼は3月の末に14歳になったばかりなのに、そのうちの9年をアメリカで過ごしているのだ。親として、日本人としてのアイデンティティーを持ち続けてほしいと願っているが、日本語の能力とともに彼の日本人としてのアイデンティティーも欠落していっているのではないかと。
昨日の日記を書いた後で思った。彼は日本語を喋っていても、日本語は既によその国の言葉な感覚で、「セッ○ス」なんて言えてしまうのではないだろうか。「べ○」とか「ぼ○」とか地元の人は人前では言えない淫靡な言葉も、地元民でなければ言えるのと同じように。
「こうすけは、ママともっとたくさん話をするようにした方がいいと思うよ」と言うと、「ボクは忙しくて他にしなくちゃいけないことがいっぱいあるんだよ」なんて抜かしおった。 それでも、日本の学校はきついと弱音を吐いていた息子が、今年も日本の中学校に夏休み前の1ヶ月体験入学させてもらうことを決めたから、少しは本人も気にしているのだろうと良い方に思うことにしよう。
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